精妙な波動とエネルギーワークによる瞑想会

2017年02月08日 21:30:28

カテゴリー:瞑想会

昨年は交通事故以来瞑想会を開催していませんでしたが、体も癒えてきたので瞑想会を再開いたします。

 

 

現代人は体はこわばり緊張し、精神も多くのものを抱え込み、静かに座って瞑想することが難しくなっています。いきなり静かに内面を見つめようとしても、それは非常に困難です。静かに座る前に心身の状態を整えておく必要があります。そのために多くの技法がありますが、この瞑想会では音を用います。精妙な音を聞いているだけで、心身が浄化され調整されていきます。主にシンギングボウルの音を聞き、感じていただきます。それだけで瞑想の準備が整います。

 

 

間近で聞くシンギングボウルの音色は繊細かつパワフルで、身体を浄化し、エネルギーを整えかつ強め、意識を鮮明にしてくれます。それに加えて最新のスピーカーを用いて、より立体的な音の場を形成します。古からの叡智と、最新のテクノロジーが融合した音と波動の空間にいるだけで、大きな癒しの効果と瞑想が自動的に起こります。

 

 

瞑想会では精妙な波動を用いますが、それには音のように五感で知覚するものと、五感では知覚できないより精妙なものがあります。瞑想会ではどちらも体験していただき、瞑想の手助けとします。

 

 

そして音だけでなくエネルギーワークも用いて、瞑想の準備をしていきます。私たちはエネルギーにも左右されていますが、それを整えることで容易に瞑想に入っていくことができます。

 

 

瞑想の準備が整ったら、静かに座っていきます。気づきを明確にし、存在そのものにくつろぎ、ハートを開き恩寵を受け取っていきます。これらを段階を踏んで進めていきます。恩寵は常にここにありますが、私たちの側が閉じていて、恩寵を受け取ることができなくなっています。この瞑想会では、恩寵を受け取るきっかけとなることを目指します。恩寵とは何か?それは言葉で説明できるものではありませんが、あえて言うならばこの世を超えたより微細な次元からのものです。

 

 

それを光として体験する人もいるでしょうし、エネルギーを感じる人もいるかもしれません。体験は千差万別ですが、大元は一つです。恩寵を受け取る鍵はハートにあります。瞑想会ではハート瞑想を行いますが、それでは十分ではありません。その背景に気づきとくつろぎがあります。まずは気づきを明確にし、それから心身をくつろがせ、男性原理と女性原理を統合させていきます。気づきがなくハートが開くと、方向性を見失います。そしてくつろぎリラックスすることで、広がりと深みが生じ、ハートが開いていく準備ができます。それからハート瞑想に取り組むことで、恩寵を受け取ることができてきます。

 

 

瞑想初心者の方でも、安心して参加していただけます。瞑想に慣れた方は、普段とまた違った広がりや深みを体験できるかもしれません。覚醒者の中には、「恩寵の働きがないと、覚醒は生じない」という人もいます。恩寵は魂の目覚め、覚醒において非常に重要なポイントです。そして魂の目覚めや覚醒に関心がない方でも、恩寵の働きによって、この世の苦しみを軽減させ、できるだけ楽に生きていくことが可能となるでしょう。

 

 

瞑想会では私がリードする形をとりますが、「教える側」「教わる側」というものではなく、そこに集う人たちによって恩寵が起こり、それを分かち合う場となります。上下関係はなく、そこにいる人たちが同じ立場で恩寵を分かち合います。そのことを五感を超えた、より微細なもので感じ取ってみてください。

 

 

最近では私自身の瞑想も深まり、今までよりも更に深みのあるものをシェアできると思います。どのようなものとなるか、私自身楽しみです。

 

 

◎日時  2月26日(日) 14時~17時  
 

 

◎料金  3000円

 

 

◎場所  埼玉県  申し込みをされた方に、具体的な場所をお知らせします。

 
 

参加希望される方は、お申込み・お問い合わせから連絡お願いします。



精妙な音と恩寵の瞑想会

2016年07月06日 10:57:10

カテゴリー:瞑想会

二カ月ぶりに瞑想会を開催します。

 

 

現代人は体はこわばり緊張し、精神も多くのものを抱え込み、静かに座って瞑想することが難しくなっています。いきなり静かに内面を見つめようとしても、それは非常に困難です。静かに座る前に心身の状態を整えておく必要があります。そのために多くの技法がありますが、この瞑想会では音を用います。精妙な音を聞いているだけで、心身が浄化され調整されていきます。主にシンギングボウルの音を聞き、感じていただきます。それだけで瞑想の準備が整います。

 

 

間近で聞くシンギングボウルの音色は繊細かつパワフルで、身体を浄化し、エネルギーを整えかつ強め、意識を鮮明にしてくれます。それに加えて最新のスピーカーを用いて、より立体的な音の場を形成します。古からの叡智と、最新のテクノロジーが融合した音と波動の空間にいるだけで、大きな癒しの効果と瞑想が自動的に起こります。

 

 

瞑想会では精妙な波動を用いますが、それには音のように五感で知覚するものと、五感では知覚できないより精妙なものがあります。瞑想会ではどちらも体験していただき、瞑想の手助けとします。

 

 

瞑想の準備が整ったら、静かに座っていきます。気づきを明確にし、存在そのものにくつろぎ、ハートを開き恩寵を受け取っていきます。これらを段階を踏んで進めていきます。恩寵は常にここにありますが、私たちの側が閉じていて、恩寵を受け取ることができなくなっています。この瞑想会では、恩寵を受け取るきっかけとなることを目指します。恩寵とは何か?それは言葉で説明できるものではありませんが、あえて言うならばこの世を超えたより微細な次元からのものです。

 

 

それを光として体験する人もいるでしょうし、エネルギーを感じる人もいるかもしれません。体験は千差万別ですが、大元は一つです。恩寵を受け取る鍵はハートにあります。瞑想会ではハート瞑想を行いますが、それでは十分ではありません。その背景に気づきとくつろぎがあります。まずは気づきを明確にし、それから心身をくつろがせ、男性原理と女性原理を統合させていきます。気づきがなくハートが開くと、方向性を見失います。そしてくつろぎリラックスすることで、広がりと深みが生じ、ハートが開いていく準備ができます。それからハート瞑想に取り組むことで、恩寵を受け取ることができてきます。

 

 

瞑想初心者の方でも、安心して参加していただけます。瞑想に慣れた方は、普段とまた違った広がりや深みを体験できるかもしれません。覚醒者の中には、「恩寵の働きがないと、覚醒は生じない」という人もいます。恩寵は魂の目覚め、覚醒において非常に重要なポイントです。そして魂の目覚めや覚醒に関心がない方でも、恩寵の働きによって、この世の苦しみを軽減させ、できるだけ楽に生きていくことが可能となるでしょう。

 

 

瞑想会では私がリードする形をとりますが、「教える側」「教わる側」というものではなく、そこに集う人たちによって恩寵が起こり、それを分かち合う場となります。上下関係はなく、そこにいる人たちが同じ立場で恩寵を分かち合います。そのことを五感を超えた、より微細なもので感じ取ってみてください。

 

 

最近では私自身の瞑想も深まり、今までよりも更に深みのあるものをシェアできると思います。どのようなものとなるか、私自身楽しみです。

 

 

◎日時  7月31日(日) 14時~17時  
 

 

◎料金  3000円

 

 

◎場所  埼玉県  申し込みをされた方に、具体的な場所をお知らせします。

 
 

参加希望される方は、お申込み・お問い合わせから連絡お願いします。



精妙な音と恩寵の瞑想会

2016年03月24日 20:47:21

カテゴリー:瞑想会

二カ月ぶりに瞑想会を開催します。

 

 

現代人は体はこわばり緊張し、精神も多くのものを抱え込み、静かに座って瞑想することが難しくなっています。いきなり静かに内面を見つめようとしても、それは非常に困難です。静かに座る前に心身の状態を整えておく必要があります。そのために多くの技法がありますが、この瞑想会では音を用います。精妙な音を聞いているだけで、心身が浄化され調整されていきます。主にシンギングボウルの音を聞き、感じていただきます。それだけで瞑想の準備が整います。

 

 

間近で聞くシンギングボウルの音色は繊細かつパワフルで、身体を浄化し、エネルギーを整えかつ強め、意識を鮮明にしてくれます。それに加えて最新のスピーカーを用いて、より立体的な音の場を形成します。古からの叡智と、最新のテクノロジーが融合した音と波動の空間にいるだけで、大きな癒しの効果と瞑想が自動的に起こります。

 

 

瞑想会では精妙な波動を用いますが、それには音のように五感で知覚するものと、五感では知覚できないより精妙なものがあります。瞑想会ではどちらも体験していただき、瞑想の手助けとします。

 

 

瞑想の準備が整ったら、静かに座っていきます。気づきを明確にし、存在そのものにくつろぎ、ハートを開き恩寵を受け取っていきます。これらを段階を踏んで進めていきます。恩寵は常にここにありますが、私たちの側が閉じていて、恩寵を受け取ることができなくなっています。この瞑想会では、恩寵を受け取るきっかけとなることを目指します。恩寵とは何か?それは言葉で説明できるものではありませんが、あえて言うならばこの世を超えたより微細な次元からのものです。

 

 

それを光として体験する人もいるでしょうし、エネルギーを感じる人もいるかもしれません。体験は千差万別ですが、大元は一つです。恩寵を受け取る鍵はハートにあります。瞑想会ではハート瞑想を行いますが、それでは十分ではありません。その背景に気づきとくつろぎがあります。まずは気づきを明確にし、それから心身をくつろがせ、男性原理と女性原理を統合させていきます。気づきがなくハートが開くと、方向性を見失います。そしてくつろぎリラックスすることで、広がりと深みが生じ、ハートが開いていく準備ができます。それからハート瞑想に取り組むことで、恩寵を受け取ることができてきます。

 

 

瞑想初心者の方でも、安心して参加していただけます。瞑想に慣れた方は、普段とまた違った広がりや深みを体験できるかもしれません。覚醒者の中には、「恩寵の働きがないと、覚醒は生じない」という人もいます。恩寵は魂の目覚め、覚醒において非常に重要なポイントです。そして魂の目覚めや覚醒に関心がない方でも、恩寵の働きによって、この世の苦しみを軽減させ、できるだけ楽に生きていくことが可能となるでしょう。

 

 

瞑想会では私がリードする形をとりますが、「教える側」「教わる側」というものではなく、そこに集う人たちによって恩寵が起こり、それを分かち合う場となります。上下関係はなく、そこにいる人たちが同じ立場で恩寵を分かち合います。そのことを五感を超えた、より微細なもので感じ取ってみてください。

 

 

◎日時  4月17日(日) 14時~17時  
 

 

◎料金  3000円

 

 

◎場所  埼玉県  申し込みをされた方に、具体的な場所をお知らせします。

 
 

参加希望される方は、お申込み・お問い合わせから連絡お願いします。



無境さんと夢妙君との対話  ディクシャについて

2016年03月10日 15:01:23

カテゴリー:エッセイ,対話

無境    前回予告したものだけどね。

 
 
夢妙    そうだよ。思わせぶりなことしてさ。一体それは何なの?
 
 
無境    もったいぶってもしょうがないからズバリ言ってしまうが、それはディクシャなんだよ。
 
 
夢妙    ディクシャ?ディクシャって、あのディクシャかい?何年か前にmixiとかで一部の人達がえらく盛り上がって、これで悟る人達も出てくると言ってた人達もいたあのディクシャなの?まさかディクシャだとはねえ。無境さんは一過性の熱狂的に流行るものは嫌いかと思ってたよ。
 
 
無境    いや、実は私もつい数ヶ月前までは、まさか自分がディクシャを体験して、しかもギバーにまでなることになるとは、全く考えていなかったよ。ギバーというのはディクシャを施すことができる人のことだけどね。それはともかく、初めて私がディクシャを受けてみたのは、かれこれ10年程前のことになるかな。私にヒーリングを伝授してくれたヒーラーの人が、スピリチュアル系の人達が集まって、いくつかのブースでそれぞれの技を提供していたんだけど、そこにディクシャをやっている人達がいたんだよ。
 
 
夢妙    ブースがいくつかあったって、スピコン今はスピマとなってるけど、それみたいなものだったの?
 
 
無境    あれよりはもっとこじんまりとしたものだったな。だけど人はごった返していてね。おそらくディクシャを受けに来ている人が多かったんだろうね。それで無料だったか格安だったかで受けることができたので、物は試しと受けてみたんだ。
 
 
夢妙    それで受けてみてどうだったの?
 
 
無境    それが受けてみて驚いた。
 
 
夢妙    そんなに凄かったの?
 
 
無境    いやそうじゃなくて、ほとんど何も感じなかったんだよ。まあ言ってみればスカスカだったな。多少は期待していたけど、ほとんど何もなかったので、正直なところ「何じゃこりゃ〜!?」てなもんだったな。
 
 
夢妙    「何じゃこりゃ〜⁉︎」か。ジーパン刑事だなぁ。太陽にほえろ。ガオー。
 
 
無境    いきなり訳のわからない方向に行くんじゃないよ。君が太陽にほえろを知ってるとはねえ。ジーパン刑事とは松田優作扮する刑事のニックネームで、「何じゃこりゃ〜⁉︎」とはジーパン刑事が死の間際に言ったセリフでございます。
 
 
夢妙    そのセリフは有名だからね。色々とパロディにされてるでしょ。それはそうと松田優作は仏教や精神世界に傾倒していたらしいね。
 
 
無境    そのようだね。若い頃はそうでもなかったんだろうけど、晩年はそちらの方向に関心が向いたようだね。ガンにかかって、死というものを意識したからかもしれないね。松田優作はアクション俳優としてのイメージが強いんだろうが、コミカルな役からシリアスな芝居まで色々と演じてきているよ。単なる肉体派アクションスターとみなされることを嫌ったんだね。私は好きな役者の一人だったな。彼の目つきや佇まいは、独特の雰囲気があって、悟りまで至っていなかったとしても、何らかの気づきというものはあっただろうな。
 
 
夢妙    下手な宗教家やスピリチュアリストよりも、一流の役者とかの方が目を覚ましているかもしれないよね。あまり脱線してもあれだから元に戻すけど、何も感じなくて驚いたんだね。
 
 
無境    うん。まあ本当に全く何も感じなかったということもなかったんだが、感じても非常に微々たるもので、意識の変容も起きなかったからね。実は一人からだけではなく何人からも受けたんだけど、どれもこれも同じようなもんだった。それとドン引きしたのが、ディクシャを施している一人が、私の時には何もなかったけど、他の人に施している時に、感極まったような表情をして、「アッハッハッハッハ」と高らかに笑い出していたんだな。
 
 
夢妙    はあ。そんな人がいたんだ。恍惚とした表情で高笑いをしながら、頭上に手をかざしている様子は結構シュールだね。
 
 
無境    普通の人がいきなりその様子を見たら、まあビックリ仰天だわな。
 
 
夢妙    それは基地の外にいる人だと思われても仕方ないね。
 
 
無境    何だいその基地の外というのは。
 
 
夢妙    わからないか。外という文字を訓読みではなく音読みにして基地の後に読んでごらんよ。
 
 
無境   ふむ。外の音読みはガイだから基地の後にガイとしたらキチガ、、おい!それはまずいだろう。
 
 
夢妙   わかったようだね(笑)僕は何も放送禁止用語は言っていないからね。
 
 
無境    私だって言ってないわい。でもまあそんな風にみなされてしまいかねない雰囲気だったな。
 
 
夢妙    ディクシャを受けて特に何も感じず、雰囲気は奇妙で踏んだり蹴ったりだね。でも、特にエネルギーを感じなかったというのは、それが微細なものだったからではないの?
 
 
無境    君の言うとおり、微細なものだからあまり感じないということもあるが、その時はそうではなかったな。先程少し言い忘れたけど、その時全く何も感じなかったわけではなく、微々たるものを感じたと言ったが、その時に心地よさではなく違和感、もっとハッキリ言うと不快ですらあったんだよ。強烈な不快感ではなかったが、また受けてみたいとはとても思えないものだったな。良い感じがしたらまた受けてみたいと思ったけどね。でもまた受けてみたいとは全く思わなかった。
 
 
夢妙    そうか。微細なものではなく、ただ弱かっただけで、不快感すらあったんだ。それでは二度とごめんだとなるよね。
 
 
無境    これはレイキでも同じことが言えて、私が初めてレイキを受けた時も、特にこれといったものはなかった。レイキなんてこんなものかと思ったよ。それが信頼できるヒーラーの人からレイキのアチューンメントを受けてみたら、以前に受けたレイキと全く違ってね。レイキにしろディクシャにしろ、アチューンメントやイニシエーションを受ければ、誰でも施せるようになるというのを謳い文句にしているが、広まることは悪いことではないが、安直に誰でも施せるようになるとするのは問題だね。やはり施す人によってエネルギーの質が変わってくるから、安易に受けるものではないな。
 
 
夢妙    それほど違いがあるんだね。それでそんなにもディクシャに対して否定的だった無境さんが、どういう風の吹き回しでディクシャをまた受けてみようという気になったの?
 
 
無境    去年の秋頃に知り合ったHさんという人がいて、その人が主催するダイナミック瞑想会に、何の気なしに参加することにしたんだ。ダイナミック瞑想は、OSHOが考案した瞑想で、強烈なカタルシスを起こし、その後静かにしているという瞑想だね。これがなかなか強烈で、一回ダイナミック瞑想をやっただけで、相当深い瞑想体験をしたりすることもある。まあその瞑想会に出てみて、そこでHさんと色々と話して、とても波長が合って、私の主催する瞑想会にもHさんが来てくれたりして、親交を深めていったんだ。
それで最初はHさんがディクシャをやっているとは知らなかったんだけど、HさんやHさんの旦那さんのブログやホームページを見て、ディクシャを行っていることを知り、信頼しているHさんがやっているのなら、どんなものか体験してみようと思ったんだ。それに直感も働いて、これは受ける必要があると強く思ったんだよ。
 
 
夢妙    ふーん。それまで全くディクシャを受ける気もなかったのに、かなり急な変化だね。直感も働いたというのは、何かを感じ取ったんだろうね。それで受けてみてどうだったの?
 
 
 
無境    いきなりギバー養成講座を受けてみようかとも思ったんだけど、まずは体験会というものがあるとのことで、まずは体験会に参加してみたんだ。最初はディクシャの説明があって、ディクシャを受ける前に心身を整えるために、ヨーガのポーズや呼吸法や瞑想を行い、最後にディクシャを受けたんだ。今からディクシャを受けるという時になったら、もう場の雰囲気が変わってしまい、ディクシャのエネルギーが伝わってきたら、以前に受けたディクシャとは全く違って、強烈だけど繊細なエネルギーが入ってきた。ディクシャのエネルギーは微細次元だけでなく、粗雑次元にも働きかえる感じがしたね。そして受け終わってからも、意識が静かになってそれが簡単には崩れなかったんだ。これは本物だと思い、ギバー養成講座も受けることにしたんだよ。
 
 
 
夢妙    今までとは全然違ったんだね。それだと今までのは一体何だったんだ?ということにもなるよね。
 
 
無境    今まで受けた人達のが単純に悪かったとばかりは言えなくて、これはやはり相性とか、信頼関係があるかどうかでも大きく違うね。Hさんとはいわゆるラポール、信頼関係ができていたから、それもあって非常にいい伝達が起こったとも思うね。
 
 
夢妙    誰から受けてもいいわけではないんだよね。よくグルやマスターを選ぶ時にもよく吟味しろと言われるけど、それと同じようなものだね。よく吟味しないでグルについて、後でとんでもない目にあうとかよく聞く話だわな。最近では以前ほどグルと弟子との関係というのは聞かれなくなったが、やはり誰かについて学ぶことは変わりないけど、誰に学ぶかでまるで違ってくるよね。
 
 
無境    レイキの時にも思ったが、個々人で伝達されるものが全く違うんだよ。何も感じなかっただったらまだいいが、エネルギートラブルが起こって、ひどい目にあってしまったケースもあるからね。そんなになったら洒落にならないからね。だから安易に飛びつくのではなく、現実的に色々と調べて吟味して、さらに直感もよく働かせて選択するのがいいね。
 
 
夢妙    それで養成講座はどうだったの?
 
 
無境    ギバーの養成講座は2日間に渡って行われて、説明会の時よりさらに深くディクシャの説明がなされ、いくつかのワークも行われた。そのワークは呼吸法や瞑想だけでなく、ある題材を与えられて、それに対して熟考と吟味をしていくものもあった。エネルギーワークは思考を超えて行うが、思考を用いるワークも意味のあるもので、それも良かったね。説明を聞いている時は疲れていたのもあるけど、かなり眠くなってしまった。それは退屈してではなくて、深い領域に自然に入っていき、それで眠くなったんだよ。それはよくあることなんだけどね。ギバーになるための伝達が行われる前から、すでにワークは始まっていたんだ。説明が始まってからすぐにそういう状態になって、このワークは必ずいいものとなるという確信がすぐに生じたね。
 
 
夢妙    そういうこともあるんだね。それで最後にディクシャのギバーになるための伝達があったと。
 
 
無境    最後はHさんの旦那さんがギバーとなるためのイニシエーションをしてくれて、それまで受けたディクシャとはまた違うものだったんだろうね。具体的にどう違うか説明もなかったし、言葉でうまく説明できないが、それからディクシャのエネルギーを流せるようになった。それまでに色々とエネルギーワークを経験してきているから、すぐにエネルギーを流していく感覚はつかめたね。
 
 
夢妙    まあ無境さんはエネルギーに敏感だからね。それはすぐに感覚をつかんだんだろうね。
 
 
無境    そうね。最後にディクシャを今後どのように活用していくかなどの話を聞いて、自分なりにどのようにしていくかイメージをしていったね。伝達する人によって違うのかもしれないが、Hさんと旦那さんは、ディクシャとはこういうもので、このように行っていかなければならない、ということは言わず、自分にあった形で比較的自由に行ってください、と言っていたんだ。色々な瞑想やスピリチュアルのワークでは、色々と決まりごとがあって、このようにしなければならないとか、こういうことをしてはならない、というのが多いんだけど、もちろんディクシャでも決まった形式などがあるけど、ああしなさい、これはダメというのがほとんどなくて、それが私にはとてもしっくりきたね。
 
 
夢妙    そういうのは珍しいかもね。でもあまり自由にしてしまうと、逸脱してしまう人もいるんじゃないの?それを防ぐためにも、決まりごととか必要じゃないのかな?
 
 
無境    君の言うことにも一理あるし、それはその通りなんだが、あまりにも形式にこだわりすぎると、それはそれで問題が生じることもある。これはいい、これはダメが行き過ぎると、意識が狭く硬いものとなり、エネルギーも変質してしまう。もちろんあまりにも自分なりのやり方にこだわり過ぎて、大きく逸脱するのも問題だが、ある程度の自由を認めて、その中で節度を持ってとりくんでいくのがいいと私は思うんだよ。
 
 
夢妙    ある程度の自由を認めるか。でもそれは施す側の質が問われるね。好きなようにやって、メチャクチャになることもあるよね。
 
 
無境    これからはまさに質が問われる時代になるだろうよ。自然に淘汰されていくんじゃないかな。
 
 
夢妙    そうなるといいけどね。ところでディクシャでは、ただ悟りを強調しているの?
 
 
無境    それがそうじゃないんだ。ディクシャでは人を簡単に悟らせる、というのが謳い文句ではあるが、現実の人間関係や、親との関係性などを重視しているんだよ。
 
 
夢妙    へー。悟りを中心にしているのに意外だね。伝統的なものでは、本当に悟りを目指す人には出家が奨励されるものもあるよね。世俗の人間関係など棄て去り、ただひたすら修行に邁進するというのが、かなり中心的な見解だったりしたよね。
 
 
無境    確かにそれは一理あるし、私もかつてはそう思っていた時もある。だけど現代では出家という制度が合わないし、他者との関わりの中で、より精神性や霊性を向上させていけるんだよ。他者との関わりの中で、様々な苦しみが生じることはある。だけどそこから学べることも多いし、器を広げていくチャンスでもあるんだ。ここ数年そのことを私も理解し始めてきた。だからディクシャではただ悟ればいいのではなく、他者との関係性を重視するというのは、とても共感するんだよ。
 
 
 
夢妙    なるほどね。他には何か特徴があるの?
 
 
無境    ディクシャでは、悟りは肉体次元からの働きかけも必要としていて、大脳、特に前頭葉に影響を与えるとしている。前頭葉は思考や創造性を担う、脳の最高中枢と考えられていて、生きていくための意欲や、情動に基づく記憶、実行機能などを司っていて、脳全体の司令塔、またはオーケストラの指揮者に例えられるらしんだ。ロボトミー手術って知ってるかな?1950年代から何年間か精神病の治療として行われていた前頭葉の削除手術のことだが、最初はチンパンジーが前頭葉を削除したらおとなしくなったとのことで、精神病の人達数万人に施された。初めのうちは精神病患者がおとなしくなったとして手術の効果があるとされたが、後に多くの問題が報告された。
 
 
・外界に対して無関心、無頓着になった
・注意力がなくなり、反応性が乏しくなった。
・状況を理解したり、推理したりすることが困難になった
・時と場所をわきまえない浅はかな言動が多くなった
・我慢ができなくなり、己の感情のままに行動するようになった
 
 
これではもはや生きているとは言えないよね。
 
 
夢妙    ロボトミー手術は聞いたことあるよ。映画「カッコーの巣の上で」でジャックニコルソン演じる主人公が、ロボトミー手術を受けて廃人同様になってしまう場面を見て、心底恐ろしくなったよ。
 
 
無境    君は「カッコーの巣の上で」を見たんだ。あれはすごい映画だよ。精神病棟が舞台で、かなり際どいところにまで切り込んでいて、実態と違う部分もあるんだろうが、人の尊厳とは?そもそも人間とは何なのか?ということまで考えさせられるね。
 
 
夢妙    何しろその年のアカデミー賞の主要5部門、作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞を独占したんだよね。これはアカデミー賞の歴史の中でもほとんどないことだもんね。アカデミー賞を取った映画が良い映画と短絡的に言えないけど、これは間違いなくすごいよね。
 
 
無境    ジャックニコルソンのぶっ飛んだ演技はものすごいからな。「シャイニング」でも完全にイかれてしまってるし、「バットマン」のジョーカーも、基地の外の人にしか見えないよ。
 
 
夢妙    さっき覚えた言葉をもう使ってるね。短絡的だなあ。
 
 
無境    大きなお世話だ。それはともかくロボトミー手術は非人道的で、非常に問題があるということで禁止されたが、それによって前頭葉がどういう働きをしているかもわかった。無論ロボトミー手術は二度と行ってはならないけどね。それでどうも前頭葉が働くことで、不安や恐怖を抑制できるらしいんだ。前頭葉は情動をコントロールし、バランスを取る働きがある。それが前頭葉の働きが弱まることで、脳の扁桃核と言われる部分が暴走し、情動に流されるままになってしまう。ディクシャでは前頭葉に働きかけ、活性化させることで、情動を整え、バランスを取っていくということだね。悟りというと意識のこととされるが、私たちはこの世に生きていくうえで、肉体を必ず必要とする。意識だけの存在ではない。そうなると意識だけではなく、肉体次元にも働きかけることが悟りにおいても不可欠だというのは、私は納得できるんだよ。
 
 
 
夢妙    ディクシャで前頭葉への働きかけが本当に起こるならすごいことだけど、実際はどうなのかね?
 
 
無境    こういうことは科学的な証明などできないが、私の体験においては前頭葉に反応があったし、私が施した人達の中には、同じようなことを言った人がいる。盲信するわけではないが、ディクシャには前頭葉に働きかける効果はあるとは思う。もちろん一回受けただけで劇的に変化するということはなく、何度も繰り返さないとね。
 
 
夢妙    無境さんの体験からは、そういうことが言えるのね。でもそれは盲信ではないかと思われかねないよね。
 
 
無境    これはとても大事なことだけど、私はディクシャを盲信するつもりはないし、創始者であるバガヴァンやアンマを崇め奉るつもりは毛頭ないからね。バガヴァンは一時期カルキとも呼ばれていて、カルキとはヒンドゥー教に伝わる、ヴィシュヌ神の10番目の化身で、カリ・ユガと言われる世界が崩れ行く時代に現れる。そして世の全ての悪を滅ぼし、新たな世界を築くとされてるんだが、救世主的な扱いをされていた時期があったようなんだ。だけど数年前にバガヴァンが「私はカルキではない。あなた方一人一人がカルキとなっていくのだ」というようなことを言われて、自分をカルキと呼ぶことを否定したんだ。それはクリシュナムルティみたいだね。クリシュナムルティも救世主と待望されたが、それを自ら否定して救世主の座から降りた。これはすごいことだよ。周りから持ち上げられたら、そこから抜け出すのは難しいからね。
 
 
夢妙    そうか。バガヴァンは救世主と崇め奉れることを否定したんだね。それは信頼できるね。
 
 
無境    私もその話を聞いて、これは信頼できるなと感じたんだ。私はかつて救世主を待望して、間違った明け渡しをしてしまっていたんだが、明け渡しは特定の人格にするのではなく、もっと大きな存在にすることに気づいた。自称覚醒者や救世主は、最終的には道を外してしまうことがほとんどで、誰かから学ぶのは大切だが、必要以上に崇めたり、明け渡すのは危険でもある。それを要求してくる人は、まずどこか外れてしまっているとみなしていいよ。
 
 
夢妙    それでもまだ特定の人格を崇める人は後を絶たないよね。人間というものはどうしてもそれをしたいみたいだねえ。
 
 
無境    その方が楽だし、色々と考えなくていいからね。でもそこにはまってしまっては、それ以降進歩はない。まあその道から入っていき、いずれ脱却していく人もいるから、一概に悪いとは言えないがね。だが少なくとも私はもうそれをしないよ。
 
 
夢妙    これからは誰かに付き従うのではなく、自らが輝き、目覚めていく時代となるのかな。
 
 
無境    バガヴァンはそういうことを言っているし、時代は移り変わっている。スピリチュアルでも変化が起こり始めている。特定のグルやマスターにただついていく時代は終わりつつある。もちろんきちんとした指導を受けることは大事だし、独学だけでは限界があり、独りよがりになりかねない。だが盲目的にグルやマスターを崇める必要はもうないよ。
 
 
夢妙    断言してるね。無境さんにしては珍しいな。まあ僕もそんな気がするけどね。ところでディクシャは悟りの伝達ということが言われているけど、バガヴァンは悟りについてどう言ってるの?
 
 
無境    それについてバガヴァンが語っている言葉を引用しよう。
 
 
悟りの入り口といえる最低限の悟りとは、「マインドの介入がなく、体験をあるがままに体験している状態」を指します。別の言葉で言えば、「一瞬一瞬の体験にはマインドが介入せずに背後に引き下がっていて、必要なときだけ私たちがマインドを使うという状態。必要でないときはマインドは介入せず離れている状態」です。
これが「最低限の悟り」と言えるものです。仏陀はその状態を 「見るときには見ているだけ、聞いているときは聞いているだけ、考えるときは考えだけ」と表現していますが、私たちはそれを最低限の悟りとして伝えたいと思っています。
もちろんこれは最低限のもので、より高い悟りの状態があります。それはみなさんのまわりのものとのワンネス(合一)、大宇宙とのワンネス、神とのワンネスの状態です。
 
 
         ここで最低限の悟りと説かれているが、これは非常に重要な定義だと思うね。私達はマインドの介入により、体験をありのままに体験することができないでいる。何かを見たり、聞いたりする際に、ありのままに見ることがなく、色々なレッテルを貼ってしまう。それによって余分なものを付け加えていく。それが無ければ私達はあるがままの自分であることができ、それだけで全てOKなんだが、その状態にあることができないんだな。そしてバガヴァンはマインドを無くしてしまえとは言っていなくて、必要な時だけマインドを使い、必要ない時はマインドが離れている状態とも言っている。日常生活ではマインドの働きが必要な場合もある。だからマインドを消してしまうことなく、マインドを使うも使わないも自在であることが、最低限の悟りであるということだね。これに私は強く同意するよ。
 
 
夢妙    なるほどね。「見るときは見ているだけ、聞いているときは聞いているだけ、考えるときは考えだけ」というのもいい言葉だね。
 
 
無境    ホントにそうだね。私達は見ているときにただ見ているができなくて、「これは綺麗だな。これは汚いな」としてしまうが、そうではなくただ見ている、先ほどの言い方だと、何かを見てそこにレッテルを貼らないんだよ。何かを見て、聞いて、レッテルを貼る。そして思考が生じ、それにどんどん巻き込まれていき、本来のあり方から外れていくんだ。「では一切思考してはならないのか?」という人もいるかもしれないけど、それはマインドを使うときは使うと言っているから、思考が全面的に悪くはない。ただそれに支配されないということだな。
 
 
夢妙    何となくわかってきたような気がするけど、「そんなものは悟りではない!」何て言う人もいそうだね。
 
 
無境    これは最低限の悟りであって、まだ段階があるわけだが、「マインドの介入がなく、体験をあるがままに体験している状態」がいかに日常生活においては価値があり、素晴らしい状態であるか、わかろうとしない人には無理にわかってもらおうとしても仕方がない。悟りをものすごく特殊なものとして、日常からかけ離れたものであるとする人もいるが、日常生活で生かすことができない悟りなど、ほとんどの人には全く何の役にも立たない。最低限の悟りでも、日常生活に生かせるなら、それこそが最高のものだよ。
 
 
夢妙    無理にわかってもらおうとしても、どうにもならないこともあるからね。ただ最低限の悟りだけでなく、より高い悟りの状態があり、それは私たちの周りのものとのワンネス(合一)、大宇宙とのワンネス、神とのワンネスの状態とあるけど、こう言われるとよくわからないし、うさんくさくも聞こえてしまうよねえ。
 
 
無境    私にディクシャを伝授してくれた人は、近頃はワンネスムーブメントにおいて、ワンネスからも離れつつある、ということを言っていて、ワンネスというものにこだわることもないとのことだった。悟りとかワンネスという言葉も、もはや手垢がついてしまい、そこにこだわっても意味がないという気が私もするんだな。無論そういう体験をすることは悪いことではないし、私もそういう体験をしているけど、そこにとらわれてしまうと、日常から乖離しすぎてしまい、方向を誤ることにもなりかねない。今の私は日常に役立つ覚醒や悟り的なものが大切だと思っているよ。
 
 
夢妙    微妙にはぐらかされたような気がしなくもないが、まあそれはいいや。それはそうと今回の対話は、ディクシャの宣伝とも受け止められてしまいかねないよね。
 
 
無境    私はそんなつもりは毛頭ないんだがね。
 
 
夢妙    そうかもしれないけどさ。そう受け止めてしまう人もいるんじゃないかということよ。無境さんはそんなつもりはないと言うけど、色々な人がいるから、自分が思うことと違う受け止め方をする人もいることを、もっと把握しておいた方がいいよ。
 
 
無境    君の言うことも一理あるから、そこは肝に銘じておくことにするよ。
 
 
夢妙    それじゃあ今回はこんなところかな?
 
 
無境    まだまだ語れることはあるが、ここで止めておこう。まだ続けてしまうと、いつこの対話を発表できるかわからないからね。
 
 
夢妙    いつも時間がかかってしまうからなあ。もっとテキパキとやれればいいのにね。
 
 
無境    こちらにも色々と事情があるんだよ。
 
 
夢妙    言い訳はいいよ。怠惰さを認めなさいよ。
 
 
無境    それではみなさん御機嫌よう。
 
 
夢妙    またはぐらかされたなあ。
 
 

 



精妙な音と恩寵の瞑想会

2016年01月08日 14:34:29

カテゴリー:瞑想会

現代人は体はこわばり緊張し、精神も多くのものを抱え込み、静かに座って瞑想することが難しくなっています。いきなり静かに内面を見つめようとしても、それは非常に困難です。静かに座る前に心身の状態を整えておく必要があります。そのために多くの技法がありますが、この瞑想会では音を用います。精妙な音を聞いているだけで、心身が浄化され調整されていきます。主にシンギングボウルの音を聞き、感じていただきます。それだけで瞑想の準備が整います。

 

 

間近で聞くシンギングボウルの音色は繊細かつパワフルで、身体を浄化し、エネルギーを整えかつ強め、意識を鮮明にしてくれます。それに加えて最新のスピーカーを用いて、より立体的な音の場を形成します。古からの叡智と、最新のテクノロジーが融合した音と波動の空間にいるだけで、大きな癒しの効果と瞑想が自動的に起こります。

 

 

瞑想会では精妙な波動を用いますが、それには音のように五感で知覚するものと、五感では知覚できないより精妙なものがあります。瞑想会ではどちらも体験していただき、瞑想の手助けとします。

 

 

瞑想の準備が整ったら、静かに座っていきます。気づきを明確にし、存在そのものにくつろぎ、ハートを開き恩寵を受け取っていきます。これらを段階を踏んで進めていきます。恩寵は常にここにありますが、私たちの側が閉じていて、恩寵を受け取ることができなくなっています。この瞑想会では、恩寵を受け取るきっかけとなることを目指します。恩寵とは何か?それは言葉で説明できるものではありませんが、あえて言うならばこの世を超えたより微細な次元からのものです。

 

 

それを光として体験する人もいるでしょうし、エネルギーを感じる人もいるかもしれません。体験は千差万別ですが、大元は一つです。恩寵を受け取る鍵はハートにあります。瞑想会ではハート瞑想を行いますが、それでは十分ではありません。その背景に気づきとくつろぎがあります。まずは気づきを明確にし、それから心身をくつろがせ、男性原理と女性原理を統合させていきます。気づきがなくハートが開くと、方向性を見失います。そしてくつろぎリラックスすることで、広がりと深みが生じ、ハートが開いていく準備ができます。それからハート瞑想に取り組むことで、恩寵を受け取ることができてきます。

 

 

瞑想初心者の方でも、安心して参加していただけます。瞑想に慣れた方は、普段とまた違った広がりや深みを体験できるかもしれません。覚醒者の中には、「恩寵の働きがないと、覚醒は生じない」という人もいます。恩寵は魂の目覚め、覚醒において非常に重要なポイントです。そして魂の目覚めや覚醒に関心がない方でも、恩寵の働きによって、この世の苦しみを軽減させ、できるだけ楽に生きていくことが可能となるでしょう。

 

 

瞑想会では私がリードする形をとりますが、「教える側」「教わる側」というものではなく、そこに集う人たちによって恩寵が起こり、それを分かち合う場となります。上下関係はなく、そこにいる人たちが同じ立場で恩寵を分かち合います。そのことを五感を超えた、より微細なもので感じ取ってみてください。

 

 

◎日時  1月23日(土) 14時~17時  
 

 

◎料金  3000円

 

 

◎場所  埼玉県  申し込みをされた方に、具体的な場所をお知らせします。

 
 

参加希望される方は、お申込み・お問い合わせから連絡お願いします。