他人を操縦席に置かず、自分で操縦する

2020年04月26日 09:39:43

カテゴリー:エッセイ,覚醒

未だに新型コロナウィルスがいつ収束するか、全く余談を許しませんが、こういう時にデマや流言飛語が飛び交います。そしてそういうものに惑わされないことが、非常に大事だと思われます。
 
 
色々な噂話、デマに一喜一憂して「これからどうなるのだろう?世間では隠されているけど、実はこんなことがあるんだ!どうしよう。。」というように自分の心を乱して、わざわざ不安恐怖というものに支配されてしまうと、益々免疫力も弱まり、かえって望ましくない方向に向かってしまいますから、やはりそういうものに左右されずにいることが非常に大切です。
 
 
かと言って「いや、私は信じている教えがあったり、神様がついているから、私は大丈夫だ」といった、その人にとっては根拠があるのでしょうが、側から見たら根拠が無い自信があり、具体的な対策を何も講じない、これはまた愚の骨頂であり、これもまた良くありません。
 
 
必要な情報は情報として取り入れ、具体的な対策はした上で、自分自身はしっかりとした確固たるものがある、ということが大切です。
 
 
その方が結果的に免疫力も高まり、仮に罹患したとしても発症しないということもあるかもしれません。やはりそういう姿勢が好ましいのではないかと思います。
 
 
そういった噂、デマというものに翻弄されてしまう人は、自分自身でものを考え決めるのではなく、他人や外から入ってくる情報を中心として、そちらに振り回されてしまうということが言えるでしょう。
 
 
一切合切自分一人で決める、行動するというのはできませんから、当然他の人の意見や知恵を借りたり、助けを借りることは大切ではありますが、最終的に決定するのは自分自身ということですね。これを外してはいけないと。
 
 
私も色々と宗教的なこと、スピリチュアルなこと、精神世界の探究をしてきましたが、その際に色々な教えに触れたり、色々な人の話を聞いたりしてきました。
 
 
今は信頼できる方に多少教わったりしますが、後は自力で進んでいっています。
 
 
かつては「この方は素晴らしいな」と思ったら、その人に依存していました。
 
 
そうなってくると、どんどんその人に依存が強くなっていき、自分自身で考えたり、決定することができなくなってきました。
 
 
長年付き合いがある友人から見ると、「あんたはもう自力でやっていけるんだから、誰かに教わったり、誰かに依存したりすることはないでしょ!」と散々言われ続けてきまして、それを聞くたびに「いや、私はまだまだだ」とか「自分一人で進めていくと、道から外れてしまう危険性があるから、そうならないためにも、他の人から学ぶ必要があるんだ」と言い聞かせたり、実際に友人に言い返したりしてきました。
 
 
その友人がとても良いことを言ってくれまして、それは何かというと、何か車なり飛行機なりを運転、操縦していて、その時に自分自身でパイロットの席に座って操縦せずに、他の人を操縦席に座らせて、他人に操縦させてしまうと、どこに連れていかれるかわからない、他人を操縦席に置くな、というものの例えですが、そんなことを何度も言ってくれました。
 
 
 
最初聞いた時は、「ちょっと上手いことを言ってるな」と軽く聞き流していましたが、今ではその友人が言ってくれたことがよくわかります。本当に友人に感謝の思いでいっぱいです。
 
 
どうしても私達は他人を運転席、操縦席に置きたがります。その方が楽ですからね。そこで一切任せてしまう。
 
 
それは初めのうちはいいですが、どんどん進行していくと、下手するととんでもない所連れていかれてしまいかねません。
 
 
私も自分自身の考えとか意思を悪い意味で放棄して、他者に委ねて操縦席に座らせて、飛んでいったらとんでもない所に連れていかれ、危うく墜落して再起不能となりかけたこともありました。
 
 
今はそういうこともなく、自分で操縦席に座って操縦席するようにしていますが、そうすることで本当に良かったなとつくづく思います。
 
 
これは存在とか、大いなる意思とか、色々な言い方がありますが、「それ」に完全に委ねてしまう、自分というものはなくて根源に委ねるということも言われますが、ここでは私が言っている他人を操縦席に置かない、というのとまた違う話です。
 
 
色々なグルやマスター、指導者と言われる人達がいますが、そういう人を操縦席に置かない、座らせない、その人に一切を任せてしまうのは危険であるということです。
 
 
本当に存在であるとか、真我とかそういうものに委ねられればそれは良いですが、途上においてはどうしても他の人の助けを借りたりする必要があります。
 
 
自分一人でできるという人もいますが、やはり完全に自力だけではこれまた難しいです。
 
 
先ほどの例えを言ってくれた友人も「あんた一人でやっていけるでしょ」と言われるんですが、完全に一人だけではまだ難しいです。
 
 
ですが他の人に教えを乞うたり、知恵を借りたりしても、その人を操縦席に置いて操縦してもらうことはもうしないです。
 
 
その姿勢が非常に大切だと確信しています。
 
 
他の人の意見やデマに惑わされてしまう人は、まさに他人を操縦席に置いて操縦させてしまう、悪い意味で任せてしまうことになるので、あくまでも自分自身で考えて決めていくことが大切です。
 
 
他人を操縦席に置かない、という考え方は私にとって非常に重要なものでして、特にスピリチュアルや精神的なことを学び実践している人達に、肝に銘じていただきたいと思いまして、このことを語りました。
 
 
 
この内容を動画で見たい、音声で聞きたいという方は、You Tube動画をどうぞ。
 
 


ストーリー、虚構から抜け出しませんか?

2020年04月04日 19:11:19

カテゴリー:エッセイ,覚醒

新型コロナウィルスが相変わらず猛威を振るっておりますが、いつ収拾するのか全く目処が経っていません。日本中がかなりパニック状態に近いと言っても言い過ぎではないです。
 
 
プロ野球もオープン戦が無観客試合で行われ、これはプロ野球の歴史上初めてのことだそうですが、開幕もいつになるか決まっていない状況です。
 
 
3月には全国の学校が休校となりましたが、これも私の知る限り前代未聞の事態ではないかと思われます。
 
 
これらに関しては様々な見解がありまして、何をどのように信じればいいかわからない状態でありますが、私は個人的にはまずは冷静になることが大事だと考えます。
 
 
そして極端な楽観論でもなく、やはり極端な悲観論でもないようにありたいと思います。
 
 
国や政府の言うことばかりも当てにはできませんし、個人的に防御をするなり、免疫力を高めること、もちろんできるだけ罹患しないようにすることは大切で、マスクや手洗い、人混みをできるだけ避けるということは行いつつ、事故の免疫力を高めて、仮に感染したとしても発症しないようにする、発症したとしても軽症で済むように自分自身を持っていくことも大切ではないかと思われます。
 
 
人混みを避けるということですけれども、本来なら人が多いところでも人が少なくなり、大変な状態になるでしょうが、人が大勢集まるところと言えば、ディズニーリゾートがありますね。
 
 
私は生まれてこの方、ディズニーリゾートは一回だけ行ったことがありまして、今現在日本に在住していて、ディズニーリゾートに行ったことがないという人は少ないでしょうが、私も数年前まではその数少ない1人でしたが、2〜3年前に友人に案内してもらいまして、ディズニーシーに行きました。
 
 
行ってみたら人の多さにビックリしまして、平日に行ったんですけれども、友人が言うには、ものすごく人が多くて並ぶから、朝早くから行くんだと。始発の電車に乗っていくくらいだと言われ、私はそれを聞いて、「人は大勢集まるだろうけど、いくらなんでも始発に乗っていくほどなのか?」とちょっと眉唾物かなと思いました。
 
 
そして実際に始発くらいの電車に乗って行ってみると、本当にビックリしましたね。物凄い人がいて入場チケットを買うのにも、列をなしていました。
 
 
人気のあるアトラクションには、やはり予約待ちで多勢の人が並んでいて、「確かにこれは始発に乗ってくるくらいでないと大変だな」普通の時刻に行ったら、これは全然人気のアトラクションには乗れないし、ホントに大変だな」と思いました。
 
 
平日にも関わらず、そこら中に人がいっぱいで、ただ歩くだけでも人の波に揉まれるようでした。
 
 
そしてなぜこんなにディズニーリゾートが人気があるのか?というのが、行ってみて何となくわかったような気がしました。
 
 
本当に夢の国、ワンダーランドですね。あの中にいると日常の色々な煩わしさとか、嫌なこと、苦しいことそんなものがあの場では忘れられてしまう、忘れさせてくれるなという気がしました。
 
 
これはまだまだ多くの人たちが夢の国、ワンダーランドに行きたいのだなと、その中で夢の中に浸っていたいのだなと理解しました。
 
 
私もそれなりに面白かったし、楽しくはありましたが、まあそこまでしょっちゅう行くものでもないし、2度と行けなくてもそれはそれで構わないな、というのが個人的な印象です。
 
 
ただ、まだ多くの日本人というか、世界中でディズニーリゾートは人気がありますから、人類全体がまだまだ夢を見続けていたいのだなと、幻想の中に浸っていたいのだなと実感できたのは、それが理解できたのは良かったと思います。
 
 
このようにディズニーリゾートには非常に多くの人が集まります。その一方とても静かなリゾート地もありますね。人もあまり来ないようなところで、ゆったりのんびり過ごせるようなリゾート地もあります。
 
 
 
そういったところもある程度人気はあるでしょうが、ディズニーリゾートと非常に静かなリゾート地と、どちらが人気があるか、大勢の人が集まるかといったら、それは言うまでもなくディズニーリゾートですね。
 
 
ですからまだ多くの人たちが夢の世界に浸っていたいのだなと、それを多くの人が好むのだというようなことをある人に話したら、「いや私は静かなリゾート地が好きだよ。ディズニーリゾートなど嫌いだ。そんな人が大勢集まるようなところなど行きたくない」という人がいましたが、ここで言っているのは、多くの人たちがまだまだ夢を見続けていたいという例えであって、その人個人の嗜好、好みというものは、ここではまた別の話です。
 
 
その時に対話していた知人のような人も当然世の中にはいますが、非常に多くの人々が夢を見続けていたい、夢の世界ワンダーランドで戯れていたいということfですね。
 
 
そういう人たちの方がまだ圧倒的に多いです。
 
 
確かに夢を見続ける、幻想の中に浸っているというのは楽しいのですが、実際のところはずっとその中に居続けるわけにはいきません。
 
 
そして数は少ないけれども、ずっと夢を見続けて楽しかったけれども、いい加減飽きてきた、何かこれは違うんじゃないか?ということで夢から覚めていこうという人たちも、少ないながらも存在します。
 
 
まだ多くの人たちが夢を見続けていたい、幻想、マーヤの中にいたいということを理解し、もう夢の世界は飽きた、何か違うんじゃないかということで、夢から覚めようとして、瞑想したり、ワークをしたり、学んだりする人たちもでてきます。
 
 
 
ただここで気を付けなければいけないのは、宗教なりスピリチュアルなりを学び、実践しても夢から覚めるのではなく、別の意味での夢を見続けるのが、これまた数多くあります。
 
 
そもそもスピリチュアルで、夢から覚めたいのではなく、別の夢を見たいという人もいるでしょうが、私は本来のスピリチュアルや精神世界は、人類全体が抱いている夢、幻想、マーヤというものから覚めていくということが、本来のスピリチュアルだと考えています。
 
 
夢を見続けたい人はそれはそれでいいのでしょうが、折角そういう流れに入ったのなら、夢から覚める方に向かうのはどうですか?と私は提案したいわけです。
 
 
井上陽水の名曲で「夢の中へ」というのがありまして、夢の中へ行ってみませんか?という歌ですね。
 
 
名曲ですし、歌詞も私たちの心に響くものですね。私はこの歌の世界を完全否定するつもりはありません。人によってはそういうものが必要だと思います。
 
 
本当に嘆き悲しんでいる人、例えば肉親の死を悲しんでいる人の前で、「いやあなたね、それも夢、幻想なのだから、いつまでも悲しんでいないで夢から覚めなさいよ」と言ったとしても「ふざけるんじゃない!この苦しみ、悲しみが夢だと言うのか!」となってしまいます。そういう方には夢を見ていただくのも必要でしょう。
 
 
そのようなことを経て、「今まで私が見てきた夢、幻想の世界は何か違うんじゃないか。ここから抜け出そう」という人は夢から覚める方向に向かっていただきたいと思います。
 
 
ディズニーリゾートで楽しむ、それはそれで良いことです。しかし本当はそれだけではないんだ、ということですね。
 
 
ほとんどの人が夢の中にどっぷりと浸かっていて、夢から覚めることに考えも及ばない。思いもよらないことですね。
 
 
けれども夢から覚めた人も少ないですが存在します。
 
 
夢から覚めることがどれだけ素晴らしいか語っている人もいるし、体験をしている人もいます。
 
 
夢はしょせん夢であり、いずれは崩れ去ります。ずっと夢を見続けることはできません。
 
 
夢から覚めるとそれが本来の在り方、自分自身の在り方なのだなとわかってきます。
 
 
スピリチュアルで、色々な夢、ストーリーを語るものも多いですが、人はストーリーが大好きですから、そこにはまる人がとても多いです。
 
 
ディズニーリゾートなどは夢の世界が展開されています。その中にいるとひと時の苦しみを忘れることができます。
 
 
映画やドラマ、小説なども今でも非常に人気があります。人はそのようなストーリーの中にいることが好きですね。その方がマインドには響きます。
 
 
以前観た動画で、いかに人を説得するかということを語ったものがありまして、何らかのストーリーを語る、そこに人は強く引き付けられるから、ストーリーを語るとより人は説得されやすい、こちらの言うことを受け入れてくれやすくなる、ということを言っていた人がいまして、確かにそれはそうだろうと。人々はストーリー、虚構が大好きですからね。
 
 
私も映画や小説などが好きですが、私はそれらはあくまでも虚構として楽しんでいますが、虚構の世界にどっぷりと浸かってしまって、そこから抜け出せない人も多いです。
 
 
ストーリー、虚構から脱却することが、本来の私たちの在り方であると私は確信しています。
 
 
引き寄せ、思うがままに生きる、チャネリングで天使や何とか星の人たちが語り掛けるなど、色々なストーリー、これらは虚構ですけれども、そういうものに惹かれる人が多いです。
 
 
それらは過程としてはいいですが、私もかつてはそのような虚構が大好きでしたから、前世がどうだとかですね。そういう話を聞くのも好きでしたし、前世と思しきヴィジョンを見て「ああ、前世の私はこうだったんだ」と思ったりもしました。
 
 
戦国の武人だったり、修行僧のヴィジョンを見て「これは私だ」と勝手に思い込み、エゴを増大させていましたが、今ではそういったストーリー、虚構は自分にとっては全然意味がなく、ただ本来の自分自身で在るということが全てであり、それ以外のことは虚構というように段々なってきました。
 
 
いきなりですねストーリー、虚構というものが無意味だと、そこから脱却するというのもなかなか難しいです。私も時間はかかりましたが、そういう方向に向かう人が少しでも増えてくればいいなと思います。
 
 
コロナウィルスも色々な虚構、デマが出回っていますね。そういうものに一喜一憂するよりも、まずは冷静であり、立てなければならない対策をしっかりと立てて、悲観論にも楽観論にも偏らず中道でいることがやはり大切だと思います。
 
 
デマに惑わされて不安に陥ったり、恐怖におののいているだけでは、何の意味もないどころか免疫力を弱め、自分をどんどん追い込んでしまうことになってしまいますので、デマ、虚構に惑わされないようにしていただきたいと思います。
 
 
文章で読むよりも動画を見る、音声で聞く方が馴染みやすいという方は動画をご覧ください。
 
 


お気楽でも苦行でもなく中道を

2020年03月16日 17:58:04

カテゴリー:エッセイ,覚醒

昨今瞑想に取り組む人が増えているようです。マインドフルネスが流行していて、それまで瞑想に見向きもしていなかった人々、ビジネスマンも行うようになり、女性でも瞑想に取り組む人も増えているようですね。
 
 
座禅会も禅寺で開催されていて、それに参加される方々もいらっしゃいます。
 
 
これは喜ばしいことではないかと思いますが、しかしながら瞑想に取り組んでみたのはいいが、長続きせず途中で諦める、挫折する人もそれなりにいます。
 
 
これについては当然何らかの要因がありますが、一つには瞑想は進歩の度合いが分かりづらいです。これが仕事やスポーツなどでは比較的進歩の度合いがわかりやすいですね。
 
 
スポーツではパフォーマンスの向上がとても分かりやすいです。例えば野球ではそれまで打てなかったボールが打てるようになるとか、取れなかったボールが取れるようになるとか、そういったことで進歩が明確ですが、瞑想はどれだけうまくいっているであるとか、進歩しているかどうかは分かりづらい。
 
 
これはある段階までくればある程度分かってきますが、それまでが非常に分かりづらいのです。
 
 
ですから瞑想していても雑念だらけでイライラしたりとか、眠くなったりして全然瞑想ができないということで挫折してしまうという方も多いです。
足が痛い、腰が痛いなど身体の痛みもなかなか辛く、それでやめてしまう人もいます。
 
 
これらは言ってしまえば身も蓋もないですが、瞑想を続けていけばそこを乗り越えて瞑想ができるようになっていきます。ですがそれまではなかなか大変です。
 
 
やはりこれは自己流でやってしまうとなかなか難しいですね。やはりきちんと指導を受けることで瞑想に取り組みやすくなるし、継続も容易になります。
 
 
瞑想で雑念が湧いてきて、それに自分ひとりで陥ると「ああ、もう瞑想が全然できないな」ということで意気消沈して挫折してしまいますが、きちんと説明を受ければ、それまで日常生活で雑念があることすら気づいていなかったのが、瞑想で意識が内側に向かうことによって、今まで気づかなかった色々な心の動き、思考や感情であるとかに気づいてきた状態です。それは決して悪いことではありませんよ。と説明をされれば、「ああそういうことか。それならもう少し頑張ってみようか」と継続していけます。
 
 
 
また瞑想に慣れた人や、志を同じくする人や仲間たちと一緒に瞑想することで瞑想しやすくもなります。
 
 
ですから最初自分一人で瞑想しようとしても、それは難しいです。
 
 
では最初の瞑想に挫折しやすいポイントを突破したとして、瞑想して心地よいとか、様々なことに気づいてきて瞑想が継続していけたとしても、ここでまた落とし穴があり、瞑想ができなくなる罠が生じることがあります。
 
 
それは何かというと、瞑想が深まると今まで気づかなかった色々な自分の要素、内在していたものがでてきます。それが少しずつ出てくることもあれば、一気にドーンと出てくる場合もあります。
 
 
これは個体差がありますから、一律にこうなるということは言えませんが、本当に深い領域にまで至ってくると、今まで自分が全く気づいてもいなかったことに気づいていく、目の当たりにしてビックリすると言いますか、「これはちょっと耐えられないな、何なんだこれは?!」というものに直面してきます。
 
 
当然そうなるとなかなか辛いですから、「これは瞑想を続けられないな」ということで辞めてしまうということがあります。
 
 
あるいは明確にそこまで辛いことはなくても、次第に自分の奥底にあるものに気づいてきて、表層意識では明確にもうできないと思わなくても、潜在意識で瞑想を続けてられない、となって辞めてしまう人もいます。
 
 
私も一緒に瞑想していたり、指導をしたりして順調にプロセスが進んでいるなと思える人でも、ある日突然「もう瞑想はいいです」ということで辞めてしまう人もいました。
 
 
その人は別に瞑想が全くできなくなったとか、内面の奥底にあるとんでもないものに直面して「もうやってられない」となってはいなくても、何か瞑想を続けさせない無意識の働きが生じてしまう。そういうケースもよくあります。
 
 
そこも超えていくと、本当の意味で瞑想ができてくるということになります。
 
 
そして瞑想に取り組むのは色々な動機がありますが、単純にストレスを解消するとか、心穏やかにいるようにするためとか、仕事の能率を上げるためであるとか、そういうことならばそこまで深い段階まで至る必要はないですし、そういう方はそれはそれでいいと思います。
 
 
ですが本格的に瞑想を極めたいとか、本当の自分に目覚めたいとか、迷妄から脱却したいとか、そういう方は瞑想やスピリチュアルワークを行い、ただただ平安に、順風満帆に進むことはないですから、楽な時もありますが、ドロドロしたものに直面することは避けられません。
 
 
そういうことを避けて、浅い段階で楽しむ。それはそれでいいですが、本当の意味でより深めたいのなら、お気楽にキラキラ、フワフワとしているだけなら、それは難しいと言いますか、私は不可能であると思います。
 
 
 
何か瞑想やスピリチュアルワークを進めがたいことが起こったとしても、まずそれは当然起こりえることを理解する。そういうことを経ないで真に目覚めることはあり得ないことを理解していただきたいです。
 
 
 
そしてここでも自分一人だけでは難しいですから、的確な指導を受けることが本来は大切ですが、的確な指導をできる人がどれだけいるかというと、これもなかなか難しいところなのですが、一つには綺麗事ばかり言っている人は、様々なことに直面してそれを乗り越えていくことについて、的確な指導や説明をすることはできないと思うので、きちんとそのことについて説明をできる方の指導を受けた方がいいと思います。
 
 
昨今色々なスピリチュアル系の本であるとか瞑想の本が出版され、指導をされる人もいますが、瞑想をしていって困難な状況であるとか、闇に直面するであるとか、そういうことをきちんと説明している本や指導者はあまりいないような気がします。
 
 
それは綺麗事を書いていた方が売れるし人も来ます。「あなた、瞑想をして大変なこともあるんですよ。障害も生じてきますけどね、そういったことも超えていきましょうね」ということを言っても、「いやそんな目に合うのなら、私はいいよ」となりますね。
 
 
「瞑想して、スピリチュアルな実践をして、こんなに素晴らしいことがありますよ。目覚めてくるとこんなにも素晴らしいんですよ」と言った方が「それはいいなあ。私もそうなりたいなあ」とどうしても人というものはなりますね。
 
 
 
でも本当の意味で、迷妄から脱却する、マーヤーから目覚めるには、深い領域に入ってくると様々な今まで気づいていなかったものに直面する。それはそれは大変な困難を伴うこともあるけれども、それを超えたところに信の解放があるのだということをしっかりと説明してくれる書籍や指導者を参考にされるのがいいと思います。
 
 
 
あの釈迦牟尼ですら、悟っていく過程において、最後に7日間菩提樹の下で瞑想されて、そこでマーラ、悪魔から色々な攻撃や誘惑を受け、それでも釈迦牟尼は座り続けて悟ったと言われております。
 
 
釈迦牟尼でも悟られる前に様々な障害、困難がありました。マーラの様々な攻撃や誘惑というものは、実際にマーラが存在して現実的に攻撃を仕掛けた、誘惑をしたのだ、という人もいますし、釈迦牟尼の内的な現れだという見解など色々とありますが、私は内的なものだと思っていますが、それはともかく釈迦牟尼ですら成道する、悟る、解脱する前に様々な困難、誘惑などを超えていかれました。
 
 
ですから私たちも瞑想を深めていくと何らかの障害であるとか、見たくもないものに直面するであるとか、それは避けられないというのは理解しておく必要があるでしょう。
 
 
最近はエネルギーの流れが変わってきているし、地球の波動も上がってきているので、今までのように艱難辛苦を経て目覚めていく、悟っていく時代ではないのだ。あまり困難に直面することなく悟っていけるのだ、ということを言っている人もいるようですが、苦行をひたすらやって、苦労に苦労を重ねて目覚めていくというのは違うと思いますが、地球の波動が上がったとか、エネルギーの流れが変わったとか、今までより楽に悟れるのだというのは、それはどうなのかな?という気がしますね。
 
 
将来的にはそうなっていくかもしれないけれども、それは一つの可能性としてですが、でも現時点においてはまだそれほどの苦労もなく、今までより楽に目覚めていけるのだ、という意見については私は懐疑的です。
 
 
あまりお気楽に流されず、苦労に苦労を重ねて悟っていくというのでもなく、やはり釈迦牟尼が言われている中道が大切だと思います。
 
 
苦行や努力に努力を重ねるやり方も、「私はこれだけ努力をしているんだ。艱難辛苦を経てそれに耐えて超えてきたんだ。だから私は悟れるのだ」といいった慢が生じる、自分に酔いしれてしまうこともあります。
 
 
私もそういった時期がありましたし、他にもそういう修行者をたくさん見てきました。
 
 
ですから苦行の果てに悟りがあるのだとか、努力に努力を重ねてその果てに達成するのだというのは違います。
 
 
かと言ってお気楽に進んでいって悟れるかというとこれまた違うと思います。その辺りはやはりバランスが大切です。
 
 
ともかく瞑想やスピリチュアルワークに取り組む人は、色々なことがあったとしても、そこでくじけたり挫折することなく、自分なりのペースで継続していただければと思います。
 
 
その先には何らかの達成というものがあるでしょうし、最終的にはそもそも達成する自分もいないのだ、というところに行きつきますが、まずは継続することが大切あることはいくら言っても言い過ぎではありません。
 
 
文章で読むよりも動画を見る、音声で聞く方が馴染みやすいという方は、動画をご覧ください。
 
 
 


変性意識は覚醒に非ず

2020年03月08日 09:11:49

カテゴリー:エッセイ,覚醒

以前アセンションについて動画をアップしましたが、その中で2020年にアセンションが起こり、その時にゲートが開いてアセンションのチャンスがあり、2021年か2022年にはゲートが閉じてしまうから、今のうちに覚悟を決めてしっかりと目覚めるように、と言っている人がいたということをそこで話しましたが、その後それを語ったとされるスピリチュアルカウンセラーの人が、2020年にアセンションが起こるとは言っていない、ということを言ったという話を聞きまして、そのことについて検証しているユーチューバーの方もいらっしゃるんですけれども、どうやら本当にそのスピリチュアルカウンセラーは2020年にアセンションが起こると言っていないということです。
 
 
私は具体的に検証はしていませんが、どうやらそれは本当らしいです。
 
 
ただそのことに疑問をもつ人もいて、アセンションが起こるのはもっと先なのだけれども、2020年にしっかりと覚悟を決めて、目覚めに向かって邁進するようにと言われ、それでもアセンションが2020年に起こると多くの人が考えたようですね。
 
 
私もその話を漠然と聞いた時、やはり2020年にアセンションが起こると言っているのだろうと思いましたから、やはりそれを聞いて混乱する人もいると。これは私は当然だと思うし、疑問を感じる人も出てくるだろうと思います。
 
 
ただ逆に益々信を深める人もいるでしょうし、そういうことがあっても私はその人のことを信じていく、という人もいるでしょう。
 
 
そのスピリチュアルカウンセラーの方のyoutubeのコメント欄で色々なコメントがつき、やはり疑問を呈する人もいます。
 
 
今までありがとうございました。でも登録は解除します。という人もいれば、単に批判する人もいて、その人に対してこの人は何もわかっていないという反応をする人もいました。
 
 
私は冷静その様子をみてみると、スピリチュアルカウンセラーの人が人々を混乱させるようなことを言ったら、それに疑問を呈する人がでて当然だと思うし、離れる人もいるだろうと思いますが、やはり離れない人もいるし、益々信を深める人もいると。
 
 
これはどうしてそうなるのかというと、これには様々な要因があると思いますが、一つ私が感じることを述べさせていただきます。
 
 
そのスピリチュアルカウンセラーは非常に人気があり、本も何冊が出してなかなか売れています。そしてセミナーや講演会を行うと、相当数の人が参加するとのことです。
 
 
今は知りませんが、以前はスピリチュアルカウンセリングや、個人セッションなどで一対一で話したり、セッションをしていたようです。今ではおそらく大人数を相手にすることが多いと思われます。
 
 
そして集団になると、そのスピリチュアルカウンセラーを信じる人が集まります。そうすると信者たちのフィールド、場というものが出来上がります。
 
 
カリスマ的指導者や教祖がいて、その周りに信者が集まると。そうすると非常にエネルギーも高まるし、人々の意識の在り方、心の在り方が伝染していきます。ある意味つながりが生じワンネスとなると言えるかもしれません。
 
 
それによって一種の変性意識状態がもたらされます。トランス状態ですね。
 
 
これは一対一のセッションでも起こるし、集団ではそれが蔓延していきます。
 
 
その場、フィールドにいると周りの人の影響も大いに受けます。
 
 
例えばこれがロックコンサート、私も学生時代に行ったりしましたが、それは一種独特の雰囲気、客観的に見ると異様な雰囲気ですね。
 
 
そこではロックスターの一挙手一投足にものすごく熱狂して、とてつもないフィールドが出来上がっています。
 
 
そういう場にいたことがある人、そのような話を聞いたことがある人はたくさんいるでしょう。
 
 
そして宗教やスピリチュアルの世界において、ロックコンサートのような集団変性意識、集団トランスというものは容易にもたらされて、色々なところでそのようなフィールドが形成されています。
 
 
変性意識やトランスを経験することは別に悪いことではないですし、それらは特別なことではなく日常的に体験していることです。
 
 
カリスマ的存在がいて、その周りに信者が集うことで、集団変性意識、集団トランスといったものが生じます。この際には気づきとか鮮明な意識が失われています。
 
 
目覚めの第一歩としては、変性意識、トランスも有効で、それすら経験していないようでは、マインドがガチガチの状態で、そこから抜け出せないですが、変性意識、トランスはあくまでも初歩の初歩であり、それを素晴らしいものであるとか、目覚めたとか覚醒したんだと勘違いしてしまう人も少なからずいます。
 
 
よくワンネス体験ということで、他者との一体感とか宇宙と一体化したとか溶け込んだりとか、自と他の区別がなくなり誰でも彼でも私なんだということに気づいたとか、そういったことを言う人もいます。
 
 
大概そういう体験は一過性のものであって、変性意識、トランスから覚めるとまた元の木阿弥、一体あれは何だったんだろうか?となってしまいまた素晴らしい体験をもう一度ということで、体験を求めていきますが、それが常に再現されるわけではなく、負のスパイラルに陥ってしまいます。
 
 
件のスピリチュアルカウンセラーが、変性意識、トランスを意図的に用いているのかそうではないのか、それはわかりませんけれども、結果的に多くの信者がトランス状態になっているのではないかと思われます。
 
 
そして一度その状態に入ると、そこからなかなか抜け出せません。
 
 
よくカルトや危ういと思われる新興宗教など、なんであんなところに入って抜け出せないんだ?!信じられない。という声をよく聞きますが、これは強烈な変性意識、トランス状態に入っており、そうなるとなかなか抜け出せないし、そういったトランス状態で指導者が何か言うと、それがすんなり入ってしまいます。
 
 
それは催眠状態ですから、教祖や指導者のことを無条件に信じ、無防備に受け入れてしまいます。
 
 
そしてエネルギーは高まり、非常に心地よく一種の歓喜状態、興奮を伴った歓喜です。
 
 
その状態から抜け出すのは非常に難しいのです。
 
 
それはある種の喜びですから、それを手放すのは容易なことではありません。
 
 
ですがはたと気づいて、変性意識、トランスから覚めていった人は、トランスを活用する集団や指導者から脱却していきますが、変性意識にずっととらわれている人はそこからなかなか抜け出せません。
 
 
 
そしてそういったことを知識として知っておくことは、知らないよりはずっといい。
 
 
ただし頭だけの知識に終わると、強烈な変性意識に入ると、知識だけではそこから抜け出せずにはまり込んでしまう危険性があります。
 
 
そうなる前に、そのことに気づくことが大切です。
 
 
そこにはまり込んでしまうと、周りからの的確な忠告、愛や慈悲による語りかけやアプローチも拒んでしまいます。そういうケースはいくらでもあります。
 
 
そしてそうなってしまった人はとことんやり尽くしていくしかないかと思いますが、浅い段階で抜け出せる人は脱却してもらいたいなとも思います。
 
 
こういった思いもあって、このようなお話をしております。
 
 
繰り返しになりますが、真に目覚めよう覚醒しよう、という人は、トランス状態というのは目覚めどころか、別の形の幻想に入り込んでしまっている状態であることを理解しましょう。
 
 
その時には様々な体験をしますが、それも決して真実ではないということを理解していただけたらと思います。
 
 
私自身が長年に渡り、強烈な変性意識、トランスにとらわれてしまっていました。かなり抜け出すのに時間はかかりましたが、そこから抜け出してしまえばそれは素晴らしいものだと思い込んでいましたが、全然そんなことはなかった。
 
 
トランスでの体験を繰り返すことで、私は目覚めている、覚醒していっていると思っていましたが、全くそういうことはなかったということが自分の体験から明らかになったので、お伝えしている次第です。
 
 
この内容を動画で見たい、音声で聞きたいという方はこちらをご覧ください。
 
 
 


真に目覚めようとする人はまだ少ない

2020年03月06日 08:50:26

カテゴリー:エッセイ,覚醒

バガヴァッドギーターという著名な聖典があります。その中でクリシュナがアルジュナに対して「私を追い求める者、探し求める者は千人に一人、さらにその中でも千人に一人が、本当の意味で私を理解する」といったことが書かれています。
 
 
ここで出てくるクリシュナは、ここでは真我と言っておきますが、真に真我を求める者、目覚めよう覚醒しようという者は少ない。さらにその中でも真に目覚める者はさらに少なくなるということですね。これは非常に大変な道、容易ではないということですね。
 
 
昨今は目覚めや覚醒、悟りというものが特別なものではない、簡単に悟れるということを言う人がいますが、確かに特別なものではないというのはその通りかと思いますが、簡単に達成できるかというと、これはなかなか難しいと思います。
 
 
私も長年修行なり瞑想なり、探求というものをしてきました。そしてこれは容易ならざるもの、目覚める覚醒するというのは、そんなに簡単なことではないということを身に染みて感じています。
 
 
数年前からスピリチュアルな世界で、非二元・ノンデュアリティというものが流行ってきました。そして自称覚醒者という人が何人かでてきました。
 
 
そういう人たちの本がある程度読まれたり、セミナー、ワークショップに参加する人も増えてきているということを耳にして「これは精神世界、スピリチュアルというものも少しずつ変わってきているかな。目覚め悟りの方向に向かう人が増えているのかな。チャネリングや引き寄せということだけでなく、本質的なものに関心を持つ人も増えてきているかな。そしてそれを達成する人も増えてくるのかな」というある種の期待がありまして、実際にそういう人たちの本を読んだり、セミナーに参加などもしてみましたが、次第にどうもこれはおかしいなと、ちょっと違うなという気がしてきました。
 
 
それはどういうことかというと、本当の意味で目覚めよう、覚醒を求めている人が果たしてどれくらいいるんだろうか?という気が段々してきまして、これはバガヴァッドギーターに書かれているように、本当の意味で求めている人は千人に一人なのだなと今は感じています。
 
 
 
それはどうしてかというと、セミナーに参加して参加者の様子を見たり、質疑応答などの様子を見聞きしていると「これは本当に目覚めや悟りを求めているのだろうか?」ということが度々あったものですから、「これは本当の意味で求めている人は非常に少ないな」と感じるようになってきました。
 
 
 
本格的な瞑想会にも参加しましたが、当然そういうところに参加している人たちは、真に目覚めようとしているとか、そこまでいかなくても瞑想を深めて「私は在る」などそういうものを深めていこうかという人たちばかりかと思ったんですけれども、瞑想してこれこれの体験があったとか、こんなものが見えた、聞こえた、歓喜に打ち震えたなどばかり語る人が多く、それは別に悪いことではないですが、本格的な瞑想の場でそういう発言が出てくるというのは「これは本当に目覚めようとしているわけではないのだな、まだ瞑想で体験する幻想の中に浸っていたいのだな」と
 
 
そしてそういう発言をする人が一人だけでなく何人もいて、しかもそういった発言をする人は非常に賞賛される、「ああ素晴らしいですね」と。
 
 
そして「私は在る」といったことを語る人に対して反応が非常に薄い。「これはいかんな。かなり本格的な瞑想会の場でもこれだったら後は推して知るべしだな」と今は感じています。
 
 
このように求める人が少なければ、達成する人はさらに少なくなってしまう。ある程度覚醒した人の本が読まれたり、セミナーに参加する人もいますが、なぜ本当の意味で求める人が少ないかというと、自分なりに考えてみたんですが、一つには非二元・ノンデュアリティ、目覚め覚醒というものが目新しく映ったのではないかと。
 
 
スピリチュアルといえばチャネリングや引き寄せであったり、ハイヤーセルフや天使、ツインソウルなどといったことが色々と言われてきましたが、非二元やノンデュアリティ、目覚めや悟りというものが特別なことではなく、誰でも目覚め悟れることができるんだよ、と言われて飛びつく人がいると、「ああそうなのか、これまで手の届かないものだと思っていたけれど、私でも悟ることができるのか」と思う人がいて、それはいいんですが、まだ本気になっていない、ちょっとミーハー的な軽い気持ちでそういうところに行ったり、本を読んだりする。
 
 
でも結局のところは最初のうちはよくても段々モチベーションもなくなり、そこから離れていってしまう。そういう状況に今はあるのではないかと思います。
 
 
聞いたところによると、一時期ほどの非二元やノンデュアリティに対する流行、流行りはなく、下火になってきているということです。これからは本当の意味でそういったものを求める、達成しようとする人が残っていくでしょうし、覚醒したという人たちも、本物が残っていくでしょう。
 
 
 
こういうことはあまり深刻になる必要なないですが、本気にならなければなかなか達成できるものではないです。ですからこれからは少しずつ自然淘汰されていき、本当の本物が残っていくでしょうし、これは私の願望でもあるのですけれどもね。ともかくそれが自然な流れではないかと思います。
 
 
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