気づきがあることで目覚めていく

2019年12月04日 21:54:15
カテゴリー:エッセイ,覚醒
瞑想中は「起こることがただ起こっている」「本来の自分はエゴや自我ではなく、存在そのものである」
 
 
といったことがごく当たり前、自然なことですが、日常においてはそれを保つのが難しく、どこかへ行ってしまうのはしょっちゅうです。
 
 
 
ラメッシも覚者が思考や感情が沸き起こることはあると述べています。
 
 
 
覚者と一般人の違いは、覚者は思考や感情が沸き起こっても、それに巻き込まれない。すぐに「ただそれである」に戻る。一般人は思考や感情が生じて、それに巻き込まれっぱなしです。
 
 
 
モヤモヤや憂鬱になるのは、日常ではどうしても起こることですし、それはそれでそういうものとして受け止める。それを無理に否定しようとすると、自我の思うつぼです。
 
 
 
私の場合は瞑想や真我探求ができるときは、できるだけ行って自分が自我ではなく存在であるということを確立していく。そして日常でモヤモヤや鬱々としてもできるだけそれに巻き込まれないようにして、そうなってしまってもそれを引きずらないように心がける。
 
 
 
それができるには、普段から自分自身を内省しておくことが大切です。
 
 
 
自分の状態がよく理解できていれば「今は自我に巻き込まれていない」「ちょっと思考や感情に巻き込まれているな」と気づけます。
 
 
 
普段から自分の状態をしっかりと観察して理解できていないと、自分がどういう状態かわからなくて、思考や感情に巻き込まれていき、そこから抜け出すのが難しくなります。
 
 
 
よく瞑想をしていて雑念が出てこないのがいい、何も考えないのがいいと思ってしまう人がいます。
 
 
 
苦しいときなど胸のあたりが重くなったり、頭がどんよりしたりなど、体に何らかの症状が出ることがよくあります。
 
 
 
そういった身体症状を無視して、ないものとして考えないようにする人もいます。
 
 
 
しかしそういった痛みや体の苦しさなどは、今自分が思考や感情に巻き込まれて、自我優位の状態であるというサインでもあります。
 
 
 
サインをしっかりと読み取らないでいると、益々エゴに巻き込まれてしまいます。きちんと見ないでいるとそれが抑圧されて、意識の奥底に蓄積されていき、それが後にもっと悪い結果をもたらすことにもなります。
 
 
 
考えないことが、気づきを失わせてしまうことにもなる。ですから考えないことがいい、ということでもないのです。
 
 
 
思考や感情に巻き込まれていても、それに気づいていることが大事で、何も考えていないことと、巻き込まれていることに気づいているのは大きな違いがあります。
 
 
 
瞑想をしていて特に雑念がない、余計なことを考えていないから瞑想ができていると思ってしまう人がいますが、それは単に無知が強くて気づきがないというケースが多いです。
 
 
 
気づきと思考の違いはなかなか言葉で説明するのが難しいですが、よくないとされる思考は、意味もなく沸き起こってきて支離滅裂です。
とりとめもなく生じては消えていく。 
 
 
 
よく過去のことを思い出して、「あの時あんなことがあった」とか「未来はどうなるんだろう?」などといった思考が生じてきます。
こういった思考は私たちを目覚めさせることはありません。
 
 
 
気づきがある時は、意識が非常に鮮明、クリアーな状態です。気づきがあることで、苦しみや悲しみなどから解放されていきます。
 
 
 
本来の自分の姿、在り方、真我や仏性といわれるものに戻してくれます。
 
 
 
例えば日常で怒りが生じます。多くの人は怒りが起こっても、怒りから意識を離して忘れようとし、深く検証することはありません。
 
 
 
そこで冷静になり、なぜ怒りが生じるのか?どこから怒りが生じるのか?などを検証する。
 
 
 
意味のない思考ではなく、きちんとした検証ができることが大切です。
 
 
 
普段の思考は論理性がなく、きちんと検証する時はきちんと筋道を立てて論理的なものです。
 
 
 
ただし、どうしても怒りが強くて検証するどころではない、そういう時怒りを冷静に眺めて検証しようとしてもできない場合は、いったん忘れてしまった方がいいこともあります。
 
 
 
とはいえ、忘れてしまう、考えないようにすると、先ほども述べたようにそれは消えてしまったのではなく、抑圧されてまだ残っているから、それはどうしても検証などができない時のことであり、可能ならばきちんと検証できた方がいいです。
 
 
 
そしてこういうことは自分ひとりの時はやりやすいですが、人がいる場合は難しいですね。
 
 
 
家族や友人、仕事での同僚や上司などで、自分がどうしても好きになれない人など、「あの人はどうしてああいうことをするんだ?! こうしてほしいのに?」などと考えたりしますね。
 
 
 
しかし他人に変わってもらおう、何とかしてほしいと思い働きかけても、変わってもらうのは不可能です。相手が自分の思うとおりに変わってくれることはないです。
 
 
 
人を変えようとかするのではなく、自分が変化していくことがずっと大事です。
 
 
 
人を変えようとする前に、自分自身が目覚めていくことが肝心なことです。


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