無境さんと夢妙君との対話   人の求めるものと、沈黙のスペースにあることについて

2015年08月12日 07:40:25
カテゴリー:ブログ

無境 しばらく前から予告していましたが、ようやくこのたび、夢妙(むみょう)くんとの対談が実現しまして、私としては感涙の極みであります。

 

 

夢妙  何を言ってるの。それはブログを読んでる人は知ってるけど、ここでは知ってる人などいないよ。

 

 

無境  ええええ?!そうなのか?!ここでは知られてないのか。。(涙)

 

 

夢妙  本当に感涙の極みのようだねえ(笑)

 

 

無境  これは感涙ではなく、悲しみの涙じゃ。

 

 

夢妙  まあこんな三文芝居はいいからさ。対談の第1号は、どういう話をするつもりなの?

 

 

無境  それが色々と考えたんだけどさ。とりあえず数年前の思い出話から入ろうかと。

 

 

夢妙  昔話からねえ。いかにも年寄り臭い入り方だねえ。

 

 

無境  大きなお世話だ。いきなりマニアックな話からだと、誰も読んでくれないだろう。

 

 

夢妙  わかったからさ。話を始めよう。

 

 

無境  それはかれこれ10年近く前のお話です。私は密教の阿闍梨の方の知り合いがいて、よく遊びに行ったり、少し密教を習ったりしていたんだよ。

 

 

夢妙  シンギングボウルを教えてくれた人でしょ。色々と世話になったんだよね。

 

 

無境  そう。その阿闍梨の方は色々な活動をしていて、シンギングボウルやタロットなどを教えたりもしていて、いわゆる密教という枠にとらわれない人だったんだよ。

 

 

夢妙  枠組みを取り払いすぎて、一部からは問題視されたりもしたみたいだね。

 

 

無境  そうね。宗教絡みだと、その辺りはなかなか難しいところだね。私はその人の枠にとらわれないところが好きで、話をしに行ったり、色々と教わったりしていたんだけどね。それはともかくある時密教の瞑想で月輪観(がちりんかん)というのがあるんだが、それをその人のところでやることになったんだ。

 

 

夢妙  月輪観てどんなんよ?

 

 

無境  簡単に言うと、自分の心を満月のようなものだと観想、イメージするんだよ。満月のように心が汚れなく、光り輝くものとして、自分の中にあるいは目の前に満月をイメージするんだな。

 

 

夢妙  へー。僕の心は、汚れなきどころか、色んなものでグチャグチャだけどね。

 

 

無境  それは当然誰でもそうだよ。それを汚れなきものとして、イメージしていく。そうするとそれを繰り返すうちに、次第に心がそのようになっていくんだ。

 

 

夢妙  そんなもんかねえ?

 

 

無境  まあ月輪観をやれば、誰でも効果がでるとは言えないがね。瞑想して効果がでる人もいれば、なかなか成果が出ない人もいる。個人差はあるわな。

 

 

夢妙  そりゃそうだろね。

 

 

無境  ともかく、私は月輪観というものをそれまで経験したことがなくて、どんなもんかやってみたかったので、喜んで月輪観をやりに行ったんだ。

 

 

夢妙  へー。無境さん色んな瞑想やってたのに、月輪観それまでやったことなかったんだ。

 

 

無境  それまで機会がなかったんだね。それでまあ実際に月輪観をやってみてとても良かったんで、しばらくやり続けようと思ったんだよ。そこではそれまで般若心経を読経したり、真言を唱えたり、といった瞑想をやっていて、私はそれも好きだったけど、そればかりだと物足りなくて、ようやく自分がやりたい瞑想ができると嬉しかったんだ。

 

 

夢妙  そうなんだ。それは良かったね〜。

 

 

無境  ところがその喜びも長くは続かなかった。

 

 

夢妙  え?何があったの?

 

 

無境  さっきも言った通り、そこでは読経や真言を唱えることをやっていて、それには人がそれなりに集まっていたんだ。ところが月輪観では、私以外にもう一人の人が参加するくらいで、いつも閑古鳥が鳴いていたんだ。

 

 

夢妙  ふむ。なんでかね?

 

 

無境  読経したり、真言を唱えるのはわかりやすいからね。何人かで声を出していると、簡単に変性意識に入って心地よくなるし、まあ初心者にはやりやすいんだよ。ところが月輪観はまずイメージが難しいし、イメージできてもそれですぐにどうこうなるわけじゃないから、初心者にはハードルが高いんだな。

 

 

夢妙  そこには瞑想に慣れた人はあまりいなかったの?

 

 

無境  指導していた人が、密教の教えややり方を、できるだけ広めていきたい、というのが中心だったから、瞑想熟達者はあまりいなかったな。初心者の人が多かったし、密教に慣れ親しんだ人でも、読経とかが好きで、座って静かにしているという方向に向いている人は、あまり見受けられなかったね。

 

 

夢妙 そんなもんなんだね。

 

 

無境  まあ私は少人数でも、月輪観をやっていきたかったし、あまり大勢よりも、むしろ人数が少ない方が、有り難かったがね。ところがある日、指導者がこんなことを言ったんだ。「月輪観が人が集まらないからやめようかな。読経だけにするかな」それを聞いた時、私はめまいがしそうになったね。

 

 

夢妙 めまいがしたねえ。高いところにでも登ったの?

 

 

無境  それじゃあヒッチコックの「めまい」じゃないか。私は別に高所恐怖症ではないよ。いきなりわけのわからないボケをかましてくるなあ。

 

 

夢妙  そろそろボケの一つでもかましておかないと、読んでる人が飽きると思ってね。

 

 

無境  無理矢理ボケを入れなくていいよ。それはそうと映画「めまい」は傑作だよなあ。

 

 

夢妙  なんだ。無境さん見てるんじゃん。「めまい」は変な映画ではあるけど、面白いよね。

 

 

無境  人の闇や、幻想と現実などについて描かれてるし、なかなか深みがあるよ。スピリチュアルに関心がある人は、見てみるといいねえ。

 

 

夢妙  で、話を戻すと、どうなったの?

 

 

無境  結局のところ、人が集まらないからということで、月輪観のクラスは無しになって、読経や倍音声明といった、わかりやすいものばかりになってしまったんだよ。

 

 

夢妙  あらまー。そうなんだ。

 

 

無境  私は「人が集まらないからやめてしまうって、それってなんやねん⁈」と不満だったが、その人はある程度人が集まらないからと意味がないと思っていたようで仕方なかったね。それとまだ月輪観をやる時期ではないと思ったんだろう。少なくとも私がやる気まんまんだったから、やって欲しかったがね。

 

 

夢妙   まあ世の中、なかなか自分の思う通りにはいかないものだよね。

 

 

無境   それはそうなんだが、私はこの出来事で気付いたことがあった。

 

 

夢妙   どんなこと?

 

 

無境   たとえ密教に関心がある人達でさえも、形を超えた、より本質的な方向にはなかなか向かわない、ということだよ。

 

 

夢妙  それはしょうがないよ。さっき無境さん、そこに集まる人達は、瞑想初心者が多かったと言ってたけど、初心者ではいきなり形を超えたものに向かうわけないよ。それに密教に関心がある人達といっても、関心の持ち方は人それぞれで、みんなが無境さんのように、本質的な方向に向いてるわけではないでしょ。無境さんはそこんとこ理解が浅かったんじゃない?

 

 

無境  君にそこまで言われてしまうとぐうの音も出ないが、確かに私が期待をしすぎたところはあったかもな。

 

 

夢妙  でもまあ、無境さんにとって、良い学びとなったんじゃないの?

 

 

無境  そうね。私が瞑想会で時々使うたとえだけど、ディズニーランドと、人が少ないリゾート地とどちらに行く人が多いかと。

 

 

夢妙  僕は人が大勢いるところは嫌いだから、ディズニーランドなんかより、静かなリゾート地に行くな。

 

 

無境  君はそうだろうが、一般的にはディズニーランドに行く人がずっと多いじゃないか。

 

 

夢妙  そうなんだねえ。僕は一般的な感覚からずれてるからな。

 

 

無境  君がずれてようがいまいがどうでもいいが、何が言いたいかといえば、ほとんどの人が、静かにただあるより、五感の刺激を求めるんだよ。密教に関心がある人達でも、月輪観で静かにただあるより、読経や真言を唱えて、聴覚を刺激をしていた方が楽しいんだよ。

 

 

夢妙  そうなんだねえ。僕は何もせずに、ボケボケーとしているのが楽しいけどな。子供のころよくボケーとしてて、親からおこられたな。

 

 

無境  君がボケーとしているのは、何もせずにただある、というより、ただ怠惰なだけのような気もするがね。

 

 

夢妙  それは仕方ないよ。何せ名前が夢妙なんだから、すぐに仏教でいうところの無明に陥ってしまうんだな。

 

 

無境  そんなこと自分で言うんじゃない。まあ自覚できてるだけましかもしれんが。

 

 

夢妙  そうさ。僕は自覚してるが、多くの人達は自覚もしてないから、余計たちが悪いよ。

 

 

無境  そんなところで威張るんじゃない。それはいいとして、現代人の多くは、五感を刺激され続けて、感覚が麻痺している。次から次へと刺激を受け、その喜びを求め続けている。でも完全に満たされることはないから、決して満足することはない。それでより強い刺激を求めるという悪循環に陥っている。これぞ輪廻の輪の中にいるとも言えるわな。

 

 

夢妙  現代における輪廻の輪だね。

 

 

無境  そうだね。それで本来我々は、五感を超えた沈黙のスペースを内在させているんだが、それを完全に見失っている。そこにただあるだけで、全て良し、となれるんだがなかなかわからないね。

 

 

夢妙  これだけ刺激を受け続けていれば、わかるわけないよ。

 

 

無境  確かにそうだが、徐々に気づき始める人もでてきてはいるようにも思う。そういう人達が少しでも増えてくればいいがね。

 

 

夢妙  それで刺激を受けずに、沈黙のスペースにあるにはどうすればいいのよ?

 

 

無境  まずはそういうものがあると、そして私達はそれを見失っていることを知ることだな。

 

 

夢妙  知ったからってどうにかなるものでもないでしょ。

 

 

無境  それもそうだが、理解してるとしれないとでは大違いだよ。もちろんただ知るだけではダメで、それから実体験していくことが不可欠だが、まずは知り、理解し、そこから実感していくことだね。

 

 

夢妙  ではまず頭で理解したとして、それから実体験していく、実感していくにはどうするの?

 

 

無境  それはこうすればいいという、たった一つの正解があるわけではなく、人それぞれ色々とあるわけで、それを自分自身で見出していくことになるが、私が個人的に大事だと思うのが、静かにしていることだな。

 

 

夢妙  そんなんでいいの?それなら僕なんかちょうどいいや。さっきも言ったけど、何もしないでただボケーとしているのは大得意だからね。

 

 

無境   それほど単純な話ではないんだがね。これからおいおい説明していくけど、そもそも静かにしている、というのは、プンジャジ、別名パパジが言っていることで、それがすごく私にはフィットしたんだよ。

 

 

夢妙   プンジャジって誰よ?

 

 

無境   本物の覚醒を達成していた、ラマナ・マハルシの弟子で、プンジャジ自身も間違いなく目覚めていて、在家の覚者として活躍した人だよ。

 

 

夢妙  そのプンジャジが、静かにしているように言ってるの?何だか学校の先生みたいだね。

 

 

無境  茶化すんじゃないよ。夢妙君。うるさいから黙ってないなさい。

 

 

夢妙  僕が黙ってたら、対話にならないじゃないか。

 

 

無境  本当に減らず口ばかりだね。まあほっとくとして、プンジャジが「ただ静かにしていなさい」とよく言ってるんだ。ただ静かにしていると、思考や感情が色々と浮いてくる。それを否定したり、巻き込まれたりせずに、ただ観察しているんだよ。そうすると思考や感情が徐々に落ちていき、その背景にある沈黙のスペースが浮かび上がってくるんだ。

 

 

夢妙  そういうもんなんかねえ?僕はよく静かにボケーとしているけど、その沈黙のスペースなんてあるかどうかよくわからないな。

 

 

無境  ただ静かにボケーとしていても気づけないよ。静かにしているのはいいけど、意識の明晰さがあって、それで観察ができるからね。君がただボケーとしている時は、意識が混沌としているはずだ。それだと気づきは起きないよ。

 

 

夢妙  そうなんだ。それならただ静かにしていなさい、と言ったってそれができるための準備が必要じゃないの?

 

 

無境  まさにその通りで、現代の特に日本人が、「ただ静かにしていなさい」と言われて、「そうか。では静かにしていよう」と思ったところで、静かに観察などできはしない。それはウォーミングアップなしで、いきなり走り出すようなもので無理があるんだ。現代人は体が強張っていて、それだけでただ静かにしていることも困難だから、体をほぐすことも大事だし、マインドも動き回っていてとても静かにできないから、マインドに働きかけることも必要だね。

 

 

夢妙  OSHOがやってたことはまさにそれでしょ。体動かしたり、呼吸を使ったり、大声を出したりとかさせて、心身を浄化してから、静かな瞑想をさせたんだよね?

 

 

無境  そうなんだよ。OSHOは現代人がいきなり静かにしていることはできないから、その準備をさせたんだ。それで色々なテクニックを編み出した。瞑想はテクニックではない。覚醒にテクニックは必要ない、という人がいて、それは実際その通りだけど、静かに観察できるように、テクニックを導入するということは必要で、テクニックは一切必要ない、というのは極端だと思うね。

 

 

夢妙 クリシュナムルティなんか、テクニックを否定してるじゃない。

 

 

無境 クリシュナムルティは天才的だから、テクニックを必要としていなかっただろう。彼がそう言ってても、誰にでも当てはまらないよ。人は自分がうまくいったことを他人にも当てはめようとするけど、自分がそうであっても、他人も同じようにうまくいくとは限らないからね。それにしても夢妙君は、OSHOやクリシュナムルティは知ってるんだね。

 

 

夢妙 この二人は有名だからね。それくらいは知ってるよ。

 

 

無境 さすがに君でも知ってるんだね。ともかくこの二人はテクニックについて対照的な意見だが、どちらもそれぞれ正しいよ。どちらがいいというものではない。

 

 

夢妙 人は比較をしたがるけど、はっきり白黒つけられないものだよね。

 

 

無境 うん。最初からテクニックなしで、静かに観察してただここにあるができればそうすればいいし、テクニックを活用することで静かに観察ができるようになる人は、大いにテクニックを使えばいいのさ。

 

 

夢妙 昔話から始まった話の結論は、そこに行きつくわけね。

 

 

無境 勝手に話を締めくくろうとするなよ。まだ話は終わってない。

 

 

夢妙 まだ何かあるの?

 

 

無境 さっきも少し言ったが、静かにして観察するには、意識の明晰さが必要だが、それは私が良く言ってる、気づきの主体にあること、プレゼンスということと密接な関係がある。プレゼンスという言葉は、近頃スピリチュアルの本でもでてくるが、それは存在そのもの、それも男性原理での存在ね。エネルギーの向かい方は天と地を貫く流れだな。最初はどっしりとそこにあるという感じだが、次第に周りに偏在していって、広大に柔軟になっていくな。

 

 

夢妙 ただ静かにしてるだけじゃダメなんだね。

 

 

無境 それだときちんとした観察ができないからね、気づきがあってこその観察だから。君のようにただボケボケーとしてればいいとはいかんのだよ。

 

 

夢妙 なんだか面倒くさそうだなあ。

 

 

無境 最初のうちは面倒だったり、しんどかったりするけど、慣れてくるとそれが自然になってくるんだよ。だから夢妙君も、プレゼンスを意識してボケーとしてみよう。

 

 

夢妙 まあ気が向いたらね。

 

 

無境 そう言うだろうと思った。こういうことは強制してやるものではないから、後は君次第だよ。

 

 

夢妙 というわけで今回はここまでにしない?

 

 

無境 まあ一回目から飛ばし過ぎてもなんだからね。感覚もつかめてきたし、今回はこれでお開きとしますか。それにしても君との対話はなかなか楽しかったから、また近々対話しよう。

 

 

夢妙 またすぐにやるの?無境さんはそう言っていても、いつになるかわからないからなあ。

 

 

無境 今回はやる気がでてきてるんだよ。

 

 

夢妙 それはいいけど、どうぞお手柔らかにね。

 



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