過去の栄光を捨て去り 具志堅用高論

2015年02月20日 15:40:30
カテゴリー:エッセイ

 

 具志堅用高を知らない日本人はほとんどいないだろうが、その印象は世代によって大きく異なるだろう。

 

 30代以降の人にとって、具志堅はバラエティに出ている、何だか面白くて変なおじさん、というものではないか。しかしそれ以前の世代となると、印象が変わってくる。

 

 具志堅はボクシングの元世界チャンピオンで、13度連続防衛を果たしている。これは男性のボクシング界において日本記録である。さらに世界戦での連続KOの日本記録も具志堅である。試合を見ていてもKOが多く、常にアグレッシブで非常に面白かった。

 

 また具志堅はプロボクシングで一敗しかしていない。世界チャンピオンになっても、勝ったり負けたりということも多いが、具志堅は世界タイトルを失った一戦で敗北したのみで、後の試合は全て勝利している。

 

 具志堅はただ強いだけでなく、とても安定感があった。最後の一敗の試合を除き、他の試合では見ていて負けてしなうのでは、と案ずることがまるでなかった。

 

 私は具志堅がボクサーとしての全盛期、まだ小学生だったが、地上波で具志堅の試合がよく放送されており、ほとんどの試合を見ていたが、具志堅のファイトに興奮し応援をしていた。

 

 世界チャンピオンとしての具志堅を、バラエティでの姿しか知らない人たちは、想像することも難しいだろう。しかし彼は間違いなく偉大な世界チャンピオンだった。

 

 ファイターとして一流であり、リング上では倒れた相手にもパンチを食らわすほど気性が激しい面もあったが、それと共にとても臆病でもあった。リングに上がってしまえば試合に集中するが、始まるまでは恐ろしくて、その場から逃げだしたくなったりもしたらしい。自分が臆病であると認められるのが、具志堅の偉大なところだと思う。

 

 自分の強い所も弱い所も認めて受け入れることは、そう簡単なことではない。それができるからこそ、世界チャンピオンを長く防衛し、ボクシングとまるで違うバラエティの世界でも、生き残れているのではないか。

 

 2015年1月15日付のネットの記事で、具志堅のインタビューを読んだ。そのインタビューでは、アスリート系タレントとしての心得を述べていたが、非常に興味深い内容だった。

 

 具志堅は14度目の防衛に失敗し、それからすぐにボクシング界から引退した。引退を惜しむ声も少なくなかったろうが、色々と検討した結果、本人は引退を決めた。それから4~5年はふさぎこみ、暗かったという。そんな時に今は画伯となっている、片岡鶴太郎の番組に呼ばれ、無理にでも明るくしていこうと決め、それからすごく気持ちが楽になった。

 

 それからバラエティにやりがいを見いだし、タレントしての活動を始めていくが、当然ながら、今までとまるで違う世界で、戸惑うことも多かった。そんな中で具志堅は、タレントとして生きていくなら、ボクサーとしてのキャリアを捨てなきゃ、と決心した。

 

 権威にしがみつきたいのが人の常だが、具志堅はそこを切り替えて、プライドや権威を捨て去った。ボクシングの世界チャンピオンになるだけでも大変なのに、具志堅は日本一タイトルを防衛した、一流中の一流である。そんな人が意識を切り替えて、いじられ役に徹するのは、簡単にできることではない。

 

 具志堅がずっと若い芸人にいじられる姿は、小馬鹿にされているようにも映る。具志堅もムッとするようなこともあったろう。そこは辛抱だと具志堅は言う。そこで熱くなってしまったら終わりだと。具志堅は自分をコントロールする術も身につけているようだ。

 

 具志堅はボクシングで頂点を極めたが、タレントで頂点を極めたいという気持ちはさらさら無いという。ボクシングではチャンピオンとなったが、タレントしては真ん中くらいにいる方が、周りも良く見えるしいいんじゃないかと語る。具志堅はバラエティでただ馬鹿なことを言っているように見えるが、実は冷静に周りも見ているようだ。

 

 インタビューの最後で、具志堅はボクシングではジャブやアッパーなど自然に打てるが、テレビではなかなか「ちょっちゅねー」と言えない。勇気がないから言えないんだと。僕には勇気と根性がないので、今年の目標は勇気と根性をつけるぞ。とインタビューを締めくくっている。

 

 ボクシングの世界チャンピオンにまでなった人が、勇気と根性が無いはずが無い。プロボクシングの世界に飛び込み、血のにじむような特訓を重ね、リング上で多くの強敵と拳を交えてきた男が、勇気と根性がないと誰が思うだろうか?しかしそれを気取ってではなく、自然にあっさりと言えてしまうところが、具志堅の具志堅たるところであろう。

 

 世の中には様々な分野で成功を収めた人がいる。宗教やスピリチュアルの世界で、悟ったとか、全てを理解したなどという人たちもいる。そんな人たちが、今まで成功してきた分野と全く違うフィールドに立ち、「自分はこのやり方で、この考え方で成功してきたのだから、今までと同じでいく」ということでその世界でやっていこうとしても、まずうまくはいかないだろう。

 

 自分の成功してきた、得意な分野では自分のやってきたやり方でよいが、まるで違う分野では、いったん自分の成功体験や、地位や名誉などを捨ててしまわないと、まず失敗してしまう。しかし成功体験や地位や名誉に大きくとらわれていると、それを捨てることは非常に難しい。

 

 具志堅はボクシングとテレビバラエティという、全く違う分野で成果をあげてきている。これは彼の言う切り替えがしっかりとできているからであろう。「なんで俺がこんなことをしなきゃならないんだ」「こんな若造が何をえらそうなこと言ってるんだ」こんな思いも浮かんだことだろう。しかし具志堅はそこを辛抱し、意識を切り替え、過去の栄光を捨て去ることで、タレントして一定の評価を受け、バラエティでは引っ張りだことなっている。

 

 過去の栄光やプライドを捨て、意識の切り替えができるのは、自我意識ではとてもできない。ほとんど無我の状態にあるだろう。具志堅が瞑想や霊的な修行などをしていると聞いたことが無いが、おそらくボクシングを通じて、そして彼本来の性質として、自我にとらわれない状態でいられるのではないか。

 

 そして具志堅を見ていて思うのが、彼は本当に天真爛漫だということだ。もちろんそれだけが具志堅の全てではなく、闘争本能も人一倍あったろう。だからこそ世界チャンピオンになりえた。しかし、バラエティでの言動を見ると、私たちを笑わせ、なごませる彼のふるまいが、計算されず自然なものだということがわかる。とても無垢な要素が具志堅に備わっているのは間違いない。

 

 具志堅のいわゆる天然エピソードは数知れない。探せばいくらでもでてくる。ネットででてくるエピソードのほとんどは事実らしい。

 

 高校受験で答案用紙に名前を書き忘れて不合格、「名前を書くところがわからなかったよー、一番上にあるらしいね」

 

 母校である興南高校でのインタビューで、インタビュアーが「具志堅さん、母校の伝統はなんですか?」と聞かれ、伝統の意味がわからず「電灯はナショナルだね」と答えた。

 

 具志堅がドライブスルーに行った時のこと。スピーカーから店員が「ご注文をどうぞ」それに対して具志堅はメニューを指さして、「これとあれ、これもちょうだい」スピーカーから「すみません、名前でお願いします」それに対して「具志堅用高です」

 

 とあるクイズ番組で司会者が「具志堅さん、1~9まで好きな数字を選んでください」

具志堅は考え込み「ラッキー7の5!」

 

 これらのエピソードは、本人に確認したところ、事実であるらしい。どれだけ天然なのか。こんなことは計算してできることではない。言われたり計算して言ったことなら、あざとさが目についてしまう。しかし具志堅からあざとさが感じられない。本当に天性のものだろう。

 

 多くの人の成功体験や、悟った、覚醒したという自覚は、自我を強めることが多い。だが具志堅はボクシングで偉大なチャンピオンになっても、奢ることなく謙虚であり、違う分野でも成果を出している。今テレビで活躍している人たちの中で、具志堅ほどエゴを超えている人は、まずいないのではないだろうか。

 

 最後に今回具志堅の語ったことをいくつか調べていくうちに、印象に残った彼の言葉を紹介して、この稿を締めくくろうと思う。

 

 「闘争本能なんてね、ボクサーになりたいと思うような子はみんなもってるの。それよりも、本当に必要なのは素直さなんだよ」



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